哲学するとは、水面下を見る作業で、従って、沈思です。
理論をつくることではありません。
「私」の感情を強めることや「私」の利益を追うことではありません。
「私」の意識を透明にすることで、「自我」の働きを弱め、「純粋意識」の働きを強めることです。
「私」の純粋意識が「私」の自我を相対化する営みです。
理論に頼らず、理論に囚われずに本質に向かって考えを進めることです。
沈思することで聞こえてくる「心の声」に従って、真っ直ぐに考えることです。
他者の思惑に左右されず、自分の信念に固執せずに沈思する営み、それが哲学です
哲学書を読み、従うことではありません。哲学書はただ使うものです。
生活世界の具体的経験から考え、イマジネーションの世界を自由に羽ばたかせることで告げ知らされる広大な世界を味わうことです。
そういう純粋意識の働きによる「人間の生や社会のありようの問題」への見方は、よき「革命」をもたらします。エロース豊かな生を生むのです。
人間の平等に反する制度を強要するような社会(例えば天皇制)と哲学とは本質的に背反します。
ソクラテスによる哲学者の定義は、「知恵を求め、美を愛し、音楽(詩)を好み、恋に生きるエロースの人」(「パイドロス」)。人間の最も高い魂とされるものです。
武田康弘