思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

哲人気取りの渡邉恒雄は、民主主義の破壊者=国政を私物化。読売新聞の不買を

2007-11-09 | 社会思想

「育ちのいかがわしい者を哲学に近づけてはならない」(ソクラテス)

今回の騒動―福田首相と小沢民主党党首との大連立のための閉鎖会談は、読売新聞会長・主筆によって画策されたものであることが明らかになりました。

渡邉恒雄〈81歳)とは、名前の通り、恒(つね)に雄(ゆう)でいたいようですが、彼は、東大文学部・哲学科(法学部というエリート学部ではなく)の時、「全学連委員長」になれず、大きなルサンチマンを抱えたと言われています。就職は、当時はまだ朝日、毎日に遅れをとっていた読売新聞社。そこで一記者から社長になるのが当初からの夢だったようです。言論界を支配することで、傷ついたエゴを慰めようとしたのでしょう。彼は、「日本はアメリカの不沈空母」発言の天皇主義者・中曽根元首相と共に、「哲学者」気取りで、哲学を政治支配(己のエゴの満足)の道具として利用しようとします。

プラトンは、主著『国家』(市民国家ポリスの教育論・社会論)で、こういう輩を「育ちのいかがわしい者」とよび、ソクラテスの言葉として、そのような者を哲学に近づけてはならないと警告しています。「政治を哲学化」しようとして手痛い失敗をしたプラトンの自戒を込めての発言だったのかもしれません。元来、理念次元の探求を行う哲学と現実次元の得を実現しようとする政治を並列させて捉えることはできません。中曽根が言う「政治に哲学を!」という発想ほど危険なものはないのです。哲学の探求は、人間の生の意味と価値を問うものであらゆる営みの基盤となりますが、それをそのままの形で現実化するのは不可能ですし、もしそれを強行すれば、理念が現実を支配するという「理念主義・ロマン主義」を招来してしまいます(戦前の「八紘一宇」や「天皇現人神」という理念は、集団的ロマン主義の最たるものでした)。

話を戻しますが、今朝の東京新聞には、仁木啓孝さんと魚住昭さんの証言が報じられていて、それによると、
渡邉氏が中心となり、有識者や官房長官、ときに首相まで呼ぶ「山茶花会」(さざんかかい)という内密の親睦会があり、2000年の「加藤の乱」もこの会が発端とのこと。また、1998年の「自自連立」も渡邉氏の画策で、犬猿の仲とされた野中広務官房長官は、渡邉氏に料亭でひれ伏したが、野中氏の役が今回は福田康夫首相である、と魚住さんは語っています。
今回の件で、首相の代理として使われたのが、森元首相。

渡邉氏にこういうことができるのは、巨大新聞のドンという立場を悪用しているからでしょう。彼は、取材対象と一体となることで情報を集め、それによって政治を動かす古い派閥記者の典型であり、ジャーナリストとしては不適格者です。己のエゴの拡大を公共の新聞を使って行うというのは、民主主義の基本ルールを侵す暴挙としか言えません。
彼のような超自我主義者が全権を持つ新聞社が、日本最大規模の読売新聞です。民主制の根幹である報道の公正・公平という【公共】を実現するためには、現在の経営体制の変革が必要ではないでしょうか。そのためには【不買運動】も有効な手段だと思いますが、みなさんいかかでしょうか?

武田康弘


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