思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

すべての問題の元は、国家主義思想にあります。

2008-03-08 | 社会思想
民主制国家のほんらいの最大の仕事は、人権(自由と平等)を担保することです。
したがって、国家主義等の特定のイデオロギーを強要するような政治や教育=自民党右派の言動は、国家機関を使った許しがたい悪行としかいえません。安倍前首相の本―『美しい国へ』はその見本です。「自由の相互承認に基づくルール社会」という近代民主主義の前提を壊すことは、最も罪深い行為なのです。「日本は天皇を中心とした国であるーその悠久の歴史という大義に殉じたのが特攻隊員だ」「政府が、あるべき家族像を教育によって国民に示す必要がある」「負の歴史(日本の戦争犯罪)を教えるのは自虐史観だからよくない」という考えに基づく政治・教育を国家権力によって実現しようとするのは、近代市民社会―民主主義原理への挑戦としか言えません。

こういう原理違反の思想は、日本のエリート層には都合がよいためか、いまもなお、政界の大物や財界人などには支持されているようですが、この種のイデオロギーをきちんと退治しない限り、日本社会を市民主権の民主主義にすることはできません。現今のさまざまな社会問題―「病院がなくなるー医療の現場の混乱」「点数優先の受験教育で考える力が育たないー東大病」「国家公務員による不祥事の続出」「検察・警察による冤罪の数々―人権蹂躙」、「農業壊滅の政策―食料自給率最低」「生活道路がないー基幹整備の不足」・・・・これらの【出口なし】のような問題の大元は、民主主義―現場の人間が決定するという【自治】の否定=中央でコントロールするという発想・想念・思想にあります。

いま世界中の注目を集めているフィンランドの教育改革、それが大成功したのは、子どもを中心にし、決定権をすべて現場に委ねたところあるのですし(石原都知事とは真逆な方法)、日本でも成功している公立学校は、豊かな人生経験を持つ校長がリーダーシップを発揮し、文部省やその出先機関=教育委員会の意向ではなく、子ども自身の内的な発達を重んじる教育を実践したからです。道路を住民自身でつくる町の試みが大成功を治めているのも、「現場が決める」威力ですし、農業の自立に成功している地域では、消費者と一体となり各農家が直接経営をしています。

【現場が決定する】、これが市民自治=直接民主主義です。エネルギーもすでに太陽光発電を使えば(屋根にソーラーパネル)家庭用の大部分は賄えるわけですし、自動車も燃料電池になればスタンドも要りません。いま何より必要なのは、【発想の大転換】なのです。古い発想に縛られ、中央集権的な遅れた思想をもつ政府機関の要人よりも、一人ひとりのふつうの市民の方にはるかに大きな力があります。可能性としては「ふつうの市民」以上の存在はない、という人類が到達した深い知恵による思想・制度―それが民主主義ですが、それを現実のものとするのが、自問自答と自由対話を方法とする対話的精神の育成です。教育の眼目もそこに置かれなければなりません。これは原理です。


武田康弘
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