思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

国民のためではなく、国家のため!?石原東京都の「君が代」強要は、民主主義原理への挑戦です。

2008-03-25 | 社会思想

今朝の東京新聞には、都立南大沢学園養護学校の根津公子教諭(57)が「君が代」斉唱時に起立しなかったことで、懲戒免職となる可能性が高くなった、という記事(こちら特報部)が載っています。

 石原都知事の強い意向を受け(実質的に破たんした「新銀行東京」の場合と同じ)、東京都教育委員会は、2003年に、「教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」「従わない場合は、服務上の責任を問われる」という通達を出しましたが、それにより処分を受けた教員は、約390名、生徒が起立しなかったことでも教員の責任が追求され、70名が厳重注意を受けたとのことです。
なんだかすっかり戦前に回帰したような国家主義ですが、「愛国心」を国旗や国歌に従わせるという「形」にすること=「フェティシズム」(物神崇拝・衣服などを性的対象とする精神異常)の強要というおぞましい政治が21世紀の今もまかり通っているというのは、わが日本人の知的退廃以外のなにものでもありません。「思想及び良心の自由」(19条)という憲法の根本理念=近代民主主義の原理に挑戦することで得られるものは何もないはずです。

土台、入学式や卒業式までも上からの指令で行うということがどれ程異様なことか!!生徒や先生や親たちが決められないという学校に教育はありません。これは原理です。教育内容にいたるまですべてを現場の決定に委ねることで世界一の教育先進国となったフィンランドなどの例を見ても分かるとおり、自治という民主主義の原則がなにより必要なのは、これからのよき社会人=公民=公共人=市民を育てる教育の現場です。自分の意見が言える手強い人間=集団同調・付和雷同しないしっかりとした個人=意味をつかめる頭と心の自立をもつ人間を育てなければよい国は生まれません。

新聞によると、自分の信念を貫いてきた根津公子先生は、「わたしを含めて大人の言うことを鵜呑みにせず、自分で考えることのできる人間を育てたい」と考え、その通りに実行してきた大変立派な先生です。教え子たちから慕われ尊敬されてきた現代まれに見る先生のようです。
「自分をさらけ出せる唯一の先生」「障害のある私の相談にのってくれ、いじめた生徒を怒るのではなく、双方を話し合わせて解決してくれた。生徒のことを本当に考えてくれる先生」「君が代問題も、生徒にある考えを押し付けるのではなく、どう思うかを問いかけられ、自分で考えるきっかけをもらった」「強制で国への誇りが生まれるはずはない」「どの生徒にも平等に接してくれる先生」「意見が言えない学校で育つと、社会へ出ても理不尽なことにも我慢するしかない生き方になる」 ・・・・と口々に生徒たちは、根津先生を支持する発言をしています。
そういう先生を何より嫌うのが権力主義=国家主義の政治家であることは、戦前も戦後も変わらないようです。一人ひとりの「市民のため」ではなく、「国家のため」という【幻想】(フェティシズム)に囚われている人たちこそ公共社会にとって最も危険な人物だと言えるでしょう。

石原慎太郎をはじめとする権力主義の政治家は、自分が上に立ち他を従わせることに「快感」をもつ人間ですが、そのような人間に政治を任せるのは極めて危険です。現場が決めるという自治政治=民主主義を破壊し、公共精神を育てず、よき社会人=公民==公共人=市民を生みません。

武田康弘
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