思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「愛国心」の要請!?ー官府による方向づけは、脆弱な社会と人間しか生みません、秩序をつくりません。

2008-03-28 | 社会思想
■文科省、新指導要領に「愛国心養成」を追加
(読売新聞 - 03月28日 05:05)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=444586&media_id=20


「愛する」ことを保守主義の政治家と一体化した文部官僚が、権力を使って教えこむーこれほど愚かな話はありません。それは、一人ひとりの内的な秩序という人間の最大の価値を元から歪める=イデオロギー化してしまう所業でしかないのです。

愛は、強制や誘導や洗脳によっては決して得られません。【愛をイデオロギー化する】のは、これ以上はない悪=根源悪というほかありませんが、このような思想をもつ政治家や役人は、自身が「ほんとうの愛」とは無縁の人生を歩んできたために、愛の形骸を他者に強要することを平然と行うおぞましい人間となるのです。

それを政治と官の権力を使って強制するのですから、まさに【公共悪】です。自分の想念を権力を使って他者に強要する、そうすることで、不幸な己の生への復讐を果たす、それが彼らの深層心理ですが、そのような人間の言動をきちんと批判することが、よき健全な公共社会を生むための基本条件です。それが民主主義哲学の役割です。

明治政府が極めて意図的につくった「近代天皇制」の下で、明治天皇に捧げられた歌=「君が代」を国歌として、それを全国民に教育せよ!というのがどれほど愚かなことか! 敗戦によって、「天皇主権」から「国民主権」へと日本の政治は根本的に変わったにも関わらず、明治天皇に捧げられた「君の時代は苔が生えるまで永遠なれ」という意味不明の歌をどうやって教えるのか?答えられる人がいるのなら答えて頂きたいものです。「さくら」など分かりやすく誰も積極的には反対しない曲はいくらでもあるのに、わざわざ物議を醸し出す「君が代」を国会の多数の力で国歌とするという行為・思想は、ほんとうに「愚か」としか言いようがありません。

保守主義の為政者は、伊藤博文や山県有朋らの明治の超保守主義者がつくった天皇主義・国家主義の想念にいまだに呪縛されているために、こういう意味の通らないことを元にして、愛国心教育をしようなどとしか考えられないのですが、これでは人間の生のよろこびに基づくよき未来は開けません。
豊かで強い社会は、一人ひとりの華・エロースが咲き乱れることではじめて生まれるのであり、上からの愛国心の教育は、国をダメにする施策でしかなのです。歴史から何も学ばすに、こんなことも分からない愚かな政治家や役人は、健全な市民社会の阻害者でしかありません。

納得―了解をうまない強制という手段は、人間の精神の大元を壊してしまいます。秩序の形成=人間の内的な統一を阻害するのです。≪何よりも国を滅ぼすのは、愛国心教育です。≫この逆説が分からぬようでは政治を行う基本能力がない、と断罪するしかありません。人間とは何か?という哲学的探求がないところにはよきもの・美しきもの何も生まれないのです。これは原理です。

武田康弘
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする