思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

原理の確認―民主主義国家の権力とは【公共権力】です。

2008-04-25 | 社会思想
民主制の国家とは、それ以前の王制(天皇制)や貴族制の国家とは根本的に異なるものです。

「公権力」という言い方は、民主制以前の国家を指す言葉としては適切です。それはふつうの市民の上にたつという意味を持ち、「公権力としての国家」vs「市民」という図式を想起させます。

しかし、市民が主権者(市民の合意=公共意思を超える意思はない)である民主制の国家には原理上「公権力」は存在しません。民主制国家における権力とは【公共権力】なのです。

市民の集合意思によりつくられる民主制国家とは、個々人の自由を守り、個々人の生の可能性広げ、個々人の安全を守るためのシステムです。それを担保するためになくてはならぬ力が、公共権力としての国家権力なのです。したがって、本来は、「国側vs住民側」という図式は生じません。そういう図式がリアリティを持つのは、日本の国家システムがまだ民主主義の国家になっていない証拠です。

権利として対等な市民がつくる民主主義国家とは、市民が税金を出し合ってつくる【共同経営】の国であり、王制(天皇制)としての国家=公権力が市民の上の立つ国家とは、国家原理が全く異なります。

したがって、民主主義国家においては、国家の諸機関それ自体には価値はありません。それがふつうの市民の利益(個人の自由の現実化ー自由の確保と調整)のために働くところにはじめて価値が生じるのです。従って、本来は、民主制国家の権力は、「国家権力」という名称よりも【公共権力】という名称の方が適切で、そうすればおかしな想念が生じにくくなる、とわたしは考えています。

「個人の上に国家がある」とか「国家の側に立つ」という言い方、あるいは逆に「国家とは悪である」という言い方は、ともに民主主義国家の基本原理(社会契約論)を理解していない人の言うことです。


武田康弘
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