思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「主観性の知」ー例をあげて説明します(「東大病」の続き)

2009-10-15 | 恋知(哲学)

「主観性の知」について、例をあげて説明しましょう。

どういう家を建てようか?

空間のイメージを広げる。
どんな感じの部屋がいいか。
広さは、高さは、どのくらいにしようか。
壁や床や天井の質感はどうするか。
形や色は。

住まい方を考える。
部屋の大きさや数を決める。
家全体の動線を考える。各部屋の連絡をどうするか。
個別性はどの程度必要か。

冷房や暖房は、何をどのように用いるか。
電気機器や通信(電話やパソコン)機器の配置や用い方を考える。
収納の箇所や広さ、場所を決める。
家具の配置等はどのようにするか。

その他様々な設備・機器をどのように配置し、用いようか。

どのような家を建てるかは、どのような生活仕方がよいかを考えることと一つですが、
これは、まさに【主観性の知】です。ドリルに答えが書いてあるのとは違い、客観的な正解をつくることができません。どのような住まい方がいいかを考える専門家はいないのです。それは、どのように生きるのがよいかを決める専門家がいないのと同じです。本人・当事者が決める他ありませんが、それには、極めて高度な知的能力を必要とします。
残念ながら、その力(=主観性の知)をもった日本人はあまりいません。学校にも家庭にも知の目的である「主観性の知」を鍛える場がないからです。

どのような・・・という《主観性の優秀さ》がなく、目的が不分明な《ただの技術知》だけがある、それが今の日本の現状です。

わたしたちは、受験競争だけをさせられてきたために、一番大切な主観性の知に乏しく、ただの物知り、丸暗記人、技術知だけを緻密化した人間が増えたのです。

感性の豊かさ、多面性、多色性がなく、単純。
論理の全体性、多次元性がなく、平面的な言葉の羅列。
イマジネーションの広がりがない言語中心主義。
エロースに乏しく、型はまりの無味乾燥。
表情、動作、話し方に自由さがない紋切り型の一般人。
価値観が外なるものに支配され、内的世界が希薄な事実人。
知識・履歴・財産の競争主義に支配される不幸な人間。

これらは、知の構造が【客観主義】でしかなく、客観知(=知の手段)を目的化してしまうために起きる不毛性=不幸なのです。知の目的は【主観性の知】であることを自覚しなければ何事もほんとうには解決しないし、よき世界は決して開けない、そうわたしは見ているのです。


武田康弘
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