思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

哲学とは何か?--意味と価値を問うこと

2009-10-26 | 恋知(哲学)

哲学とは、何か?

ひとことで結論だけを言えば、意味と価値を問うことです。

人間は、自分たちがつくった道具や機械に意識を向けるときも、社会問題を考えるときも、自然を想い、見、調べるときにも、みな、私=人間の営みとして行うわけですので、人間の生と切り離した只の「物」とか只の「事実」を措定することは不可能です。

コップの意味が了解されなければ、コップという言葉も使えません。人間にとって意味を外した「事実」はないのですが、この認識論の原理中の原理(=当り前のこと)をよく自覚することは、ものごとを考える上で極めて重要です。

誰であれ、人間はみな、日々の生活や仕事や勉強は、すべて意味の中にあり、その人の価値意識=価値観に従って行動しているのですが、そのこと(=意味と価値)の中身を自覚しようとする営みを哲学と呼びます。

どのような意味があるか?どれほどの価値があるか?
自分、あるいは多くの人が価値が高い、あるいは低いとみなしていることを、ほんとうにそうなのか?と問い直すこと=自分の価値意識を洗い、世間の価値意識洗うこと。
人間のあらゆる営みを、バラバラな事実の羅列でなく、意味のつながりとして見ること。

単なる「事実学」は単なる「事実人」(ただの人)しかつくらない、とはフッサールの言葉ですが、意味のない事実の羅列というエロースに乏しい営みから、意味と価値を問うエロース豊かな「意味論」(ないし本質学)としての知の営みを始めよう!それが哲学の放つ最大のメーセージなのです。

プラトン学園=「アカデメイア」の主祭神が「エロース」(英語読みでは「キューピット」=恋愛の神)であることには、極めて大きな意味があるのです。ついでに言えば、哲学における真面目とは、恋愛における真面目と同じもの、儒教的ないし日本的な真面目とは対極にある真面目です。


武田康弘
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