同じ発話場で、「さん」付けと「先生」付けを使い分けるMさんに対して、わたしは「不快感」を表明しましたが、以下に結論を記します。
わたしは、
教場で何かを教えている(教えられている)という人間関係の場合は、「○○先生」と呼ぶのが妥当だと思っています。教える人を先生と呼ぶのは、自然なことで、そういう場で「○○さん」というのは、日本社会の場合、好ましくありません。わたしも、生徒、特に未成年の子どもから「○○さん」と呼ばれたら、かなり違和感を覚えます。
ただし、教場での人間関係にない人を「○○先生」と呼ぶのは、大いに疑問です。はっきりと教える・教えられる関係にはないのに「先生」という呼称を用いるのは、不適切だと思います。
対等であるべき公共圏で、ある人を「先生」と呼び、他の人を「さん」で呼び分けるのは、とてもおかしな話です。《公共》や《哲学》を意識する人は、率先してこのような【悪習】をやめるべきでしょう。
「さん」付けによる民主主義を広めていきたいと思います。
武田康弘
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以下は、コメント欄です。
常識レベルの話です (荒井達夫)
2009-10-02 22:40:38
「対等であるべき公共圏で、ある人を「先生」と呼び、他の人を「さん」で呼び分けるのは、とてもおかしな話です。《公共》や《哲学》を意識する人は、率先してこのような【悪習】をやめるべきでしょう。「さん」付けによる民主主義を広めていきたいと思います。」(武田さん)
これは、常識レベルの話です。常識をわきまえないで、「公共」も「哲学」もあり得ません。「民主主義」とは、常識ある普通の人達によってはじめて成り立つということが、よくわかりますね。