思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「事実学」以前ー長谷部泰男・東大法学部教授の主張

2010-01-07 | 社会思想

昨日(1月6日)の朝日新聞朝刊に、長谷部泰男・東大法学部教授と杉田敦・法政大学法学部教授の対談が載っています。一読、唖然としましたので、ブログにします。

地方政府においては、主権者の意思は議会と首長の二元によって代表されますが、
中央政府においては、主権者の代行者である国会議員が総理大臣を指名し内閣をつくるので、権力は二元代表制ではありません。しかし、三権分立という民主主義の仕組みに基づいて権力が行使されるのは、言うまでもないことです。義務教育でみなが学習することです。ーーー以上は、基本の確認です。


長谷部さんは、「憲法一元化、想定せず」という見出しで、
違憲立法審査権という民主主義の仕組み(三権分立)の話を持ち出し、それによって、宮内庁や内閣法制局という官僚組織の権力行使を正当化するという、にわかには信じ難し論を展開しています。内閣の下に置かれる各行政機関に、それ独自の権力を認めるというのでは、主権在民を原理とする『日本国憲法』の基本理念に反し、違憲としかいえません。さまざまな立場の人の意見をよく聴く、ということが大切であるのは当然ですが、それと、権力行使のありよう及び正当化の問題とは次元を異にする話なのです。

東京大学法学部の憲法学者がこのような主張をするとは驚きですが、宮内庁や内閣法制局の独自判断をよしとする彼の主張を支えるのは、長年にわたり、東大法学部支配=官僚主義による政治を進めてきた現実(エリート主義)を肯定したいという暗黙の想念でしょう。

わたしは、あまりのお粗末に、ただ唖然として新聞を見返しました。
哲学(意味論としての知=本質学)なき個別学問は単なる「事実学」に過ぎませんが、これでは、「事実学」にさえなっていません。


武田康弘


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