思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

倫理にもとる検察官ーもはや評すべき言葉もない。

2010-01-22 | 社会批評

今日のニュースで報じられましたが、菅家さんの再審裁判で、当時の検察官は、反省も謝罪もしませんでした。

あろうことか、「菅家さんが無実だという証拠が示されなかったから・・・」と発言していましたが、この元検察官の無知には言葉を失います。推定無罪の原則は、人権と民主主義の国ならばどこでも当然のことで、「日本国憲法」では第38条に明記されています。
無実だという証拠がないから有罪!!??だというなら、誰でも有罪にできます。

こういう大原則をわきまえない検察官が「法の番人」なら法は命を失います。地位のある者(検察官)は大きな間違いに対して謝罪さえしない。倫理は消え、国は滅びます。わたしは、強い公共的な憤りを持ちます。

有罪とされ、極刑が言い渡された人間の言語に絶する苦しみが分からない検察官に対しては、もやは評すべき言葉もありません。


武田康弘
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以下は、ミクシイ・コメントです。


きくっちょ
2010年01月23日 01:00

ニュースより失礼。

DNAっていう結果的に間違ってたとはいえ証拠があった。

DNAの結果が間違ってたのは検事の責任ではない。

証拠もあって本人も自白した。

自分はやってないという犯人は腐るほどいる。

この状況で検事はどうするべきだったのですか?

もちろん謝罪はしたほうが良いですが彼としては職務をまっとうしたにすぎないと思いますが。
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*まちゃこ*
2010年01月23日 01:41

ニュースより失礼します。
今回のニュースは意見(責められる対象)がたくさん別れているようですね。
その中でタケセンさんの日記で引っかかるところがあり、コメントさせていただきました。
今回検事の方が実際どのような言い方をしたのかは知りませが『無実だという証拠が示されなかった』と言ったのなら、=『無実だという証拠がなかった』とはとらえることは出来ないと思います。
確かに、少しでも無罪の疑いがあればそれは無罪になるべきですが、今回のケースは警察から渡された証拠にはそのようなものはなく、また警察が『示さなかった』のかもしれませが、検事の方を無知と言うのは違うと思いました。
ともあれ、今回のような事はきっと過去にたくさん起きていますし、今のDNA鑑定ももしかしたら将来『100万人に1人を確定するだけのモノ』とか言われるのかもしれません。
どうにか改善されていって欲しいものです。
長々と失礼しました。
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ジャック
2010年01月23日 03:18

ニュースから失礼します。
個人的な感情から言うと、この元検事の態度には苛立ちを覚えました。
またなぜ菅谷さんは「自白」→「撤回」→「自白」と曖昧な回答を
してしまったのかということがすごく気になります。
単に菅谷さんの性格が問題だったのでしょうか?それとも取調べが
きつくてそう言わざるを得なかったのでしょうか?

一部の方々は元検事は仕事を全うしただけのことで、謝罪する必要はないと仰っていました。確かに「仕事」という見方からはそうかもしれません。でも個人的には冤罪によって17年間という貴重な時間を失い、苦痛を味わってきた菅谷さんにとって、次のステップを踏むためにはまず一つの区切りが欲しいのは当然ではないかと思います。
取調べは正しかったとか間違っていた云々より、これから大変な思いで生きていかなければならない菅谷さんにせめて激励の言葉ぐらいはかけて欲しかったなと思いました。
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ざらすとろ
2010年01月23日 11:45

もし現政権が本気でデモクラシーに基づいた政治を行おうとしているのなら、真っ先に司法制度のあり方を大幅に改革しなければならないと思います。

立法、行政、司法の中で一番腐っているのは、司法です。

少なくとも、この北朝鮮並みの99%以上の有罪確定率というまったく信じがたい状況を改善するには、まず裁判官が地方の簡易裁判所に島流しされる事を恐れるような状況をこそ真っ先に変えなければなりません。

そして検察の権限を監視する仕組みをきちんと造って機能させる必要が在ります。
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C-moon
2010年01月23日 11:54

検察の仕事を全うしただけだ……しかし明らかなミスを犯した。
いかなる理由があれ、どんな仕事であれ、自分の仕事で結果的にミスが生じ
相手に不利益をもたらせた場合、まず謝罪することが”人”ですよね。

自分の子供には、みなさんそう教えるのではないでしょうか。

法の順守に関わる、強権を持っている検察官が
刑法上のもっとも重要な原則―推定無罪から大きく逸脱している現状。
検察の長い習慣が、冤罪を発生させているわけですから
国民はもっと厳しい目で、強権を持っている検察を見つめてほしいです。
”推定無罪”と”疑わしきは被告人の利益”に……これは一体です。
この原則が崩れた時、法は機能を失い暴走します。
かろうじて今回は、再審というカタチで”疑わしきは被告人の利益”が
何とか守られましたが失われた菅谷さんの17年間の人生はもどりません。
”疑わしきは被告人の利益に(罰せず)”は裁判所の原則。
”推定無罪”は、検察の原則……
明らかに検察は、菅谷さんの件では、無視しています。

刑法学者の団藤重光さんは、「冤罪が存在する限り、死刑制度は反対である」
ということを言っていますが、この言葉は重いです。

そして、今回の小沢氏を巡る検察とマスコミもこの原則を逸脱しています。

いつも世の中を測る自分の中にある秤の均衡を保っていただける日記に感謝しています。
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タケセン
2010年01月23日 14:41


きくっちょさん

被告側は、DNA鑑定の再検査を求めづづけましたが、実行されませんでした。検察側は、まったく言い訳ができません。ミスという次元を超えた大問題です。

*まちゃこ* さん

「確かに、少しでも無罪の疑いがあればそれは無罪になるべきですが、今回のケースは警察から渡された証拠にはそのようなものはなく、また警察が『示さなかった』のかもしれませが、検事の方を無知と言うのは違うと思いました。」

今回の事件に限らず、
警察が犯人だとした人物について、「無実の可能性がある証拠」を警察が検察に出す、ということはないのです。ですから、
検察の仕事は、警察の言をうのみにせず、白紙でもう一度検証するところにあります。これが原理です。
検事が推定無罪の原則(=人権を守る責務をもつ民主主義国家の大原則)踏まえないのですから、無知だと言うほかにないのです。

ジャックさん
ざらすとろさん
C-moonさん

コメントありがとうございます。


コメントを寄せられたすべてのみなさん、
踏み込んでのご意見、感謝です。


武田康弘


コメント
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