思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

検察庁は、説明責任を果たさなければ、官僚独裁に陥ります。

2010-01-14 | 社会批評

今回の小沢氏関係先への一斉捜索に限らずですが、
検察は、有無を言わせぬ権力=強制力を発動するにあたっては、その権力の源である国民にきちんとした説明が必要です。しかし、その義務が果たされていません。

強制力の発動に至った理由は、マスコミの推論以外にはなく、検察庁自身の説明がありません。これは、主権在民の民主主義国家としては、極めて重大な問題です。

民主主義の手続きに則り、主権者の重い権利として選んだ政治家に対する捜査は、慎重の上にも慎重でなければなりません。少しでも「判断」に普遍性・妥当性を欠けば、主権在民の原理に立つ民主主義の根幹を揺るがすことになります。

官僚支配を守る最後の砦の役を果たしてきた日本の検察は、民主主義の発展を阻害する最大の要因になりかねない
と、著名なジャーナリストでありアムステルダム大学教授でもあるウォルフレン氏は言いますが、

検察庁は、しっかりと説明責任を果たし、そのような疑いを持たれぬようにしなければなりません。ただでさえ検察は、【冤罪事件】を次々と引き起こしてきたのですから。

マスコミも、検察の言動を「絶対化」して伝えるのは、大変危険であることを自覚しなければいけません。検察の判断を即・真実として報道するのでは、戦前の「天皇主権の官僚主義国家」の時と変わりません。現代の日本は、主権者は市民・国民であり、すべての権力の源は国民にあるという原則こそが絶対的なのですから。


武田康弘


コメント (2)
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