1月7日(水)のブログにました長谷部泰男さん(東大法学部教授)杉田敦さん(法政大学法学部教授)との朝日新聞の対談記事を読んだ高校生二人の感想と意見を記します。
(A君)
長谷部さんは、宮内庁が独自で定めた「30日ルール」は大事だ。カントも言うように天皇を利用価値のある「手段」として扱ってはならず「目的」として扱うべきだ、そうでないと、天皇や皇室独自の価値や尊厳が崩されてしまう、というが、
その考えは、おかしいと思う。
誰か特定の人や家族に尊厳があるとすれば、その他の人や家族には尊厳はない(少ない)ことになってしまう。ぼくたちは、みな対等・平等な価値をもった人間であって、特定の人が生まれながらして「偉い」というのは、第二次大戦の前と同じ考えでしかないと思う。いまの憲法は、天皇主権から国民主権に変わり、天皇は儀礼的なことをする人でしかないはず。長谷部さんは憲法学者だと言うが、どうしてこんなおかしな主張をするのだろう?昔と同じ思想をもつ人なのかな。
(Bさん)
東大の教授だから自分が偉いと思っているんじゃないの?自分が昔の天皇みたいな気持ちなのかもしれない(笑)。
(A君)
官僚が決めるという今までのやりかたが「民主的」と言っているように読める。官僚=東大だから、政治家ではなくて、官僚の方が上だと言いたいのかな。「宮内庁長官」の発言がいいと言っているし、「内閣法制局」の憲法解釈がいいとも言っている。でも、これはすごくおかしいことだと思う。タケセンもブログに書いているけど、三権分立の三権の一つの「内閣」の下にいろいろな行政機関があるのに、その機関(役所)が、内閣が決めたことに従わない独自の権力をもったら、民主制ではなくて、官僚制になってしまうはず。
(Bさん)
そうね。杉田さんもそうだけど、長谷部さんのは、違う次元の話を一緒にして語り、自分の意見が正しいと言っているから、間違いだし、すごく分かりにくい。現状維持のために話を誤魔化している感じて、学者なのに「官僚ぽい」。
(A君)
内閣法制局の問題でも、長谷部さんは、アメリカやフランスでも同じようなものがあるからいいんだ、って言うけど、これはひどい話ですよ。同じようなものがあるといっても、その中身や位置づけは日本と同じだとはとても思えないし、それに、状況が異なるほかの国の話を持ち出しても、「よい」ということの証明にはならないはず。だいたい、ここで云われている9条の解釈のことは、アメリカやフランスの例を出しても意味ないですよね(笑)。
話が戻るけど、この論理のすり替えみたいなことは、天皇問題への発言でもそうで、カントの言った「目的として扱え」というのは、平等な一人ひとりの人間の尊厳という意味なのに、天皇制という制度の問題と次元を混ぜて言うから、読んでいてすごく気持ち悪い。個人の人間の話ではなく、天皇や皇室という制度は、もし「利用価値」がないのなら、それを国民の税金で維持している必要はないはず。主権者の意思で、儀礼(そういう仕事)をしてもらっているだけなのに、そういう民主主義(国民主権)の基本がはっきりしないから、意味がすっきり通らないんだと思う。
(Bさん)
なんだか、官僚主義という「古きよき伝統を壊そうとする政治家」を攻撃する!?(笑)っていう感じ。
それにしても、論理をすり替えたり、次元の違いを無視して混乱させるようなひどい対談を、どうして『朝日新聞』は載せるのかな~?その意図が分からない。新聞記者も名前が偉いとイイものだと信じてる?
(A君)
一元化はダメ、とか権力は多元的であるべき、とか、言葉の表面だけを見るとなんとなくイイように見える(聞こえる)けれど、よく考えると、ほんとはひどい話で、政治は成り立たなくなる。責任がはっきりせず、バラバラで、空気で動く、空気に縛られる。でも、それが戦争を引き起こしたんだし、戦後も無責任で、昔の思想を反省できない原因になっていると思う。
(タケセン)
うーーん、素晴らしい感想&意見だね(感心)。ありがとう!
その無責任性を生んでしまう日本人の考え方と権力構造の問題を主題化して世界的なベストセラーになったのが、ウォルフレン(オランダ)の『日本権力構造の謎』という本なんだが、レジュメがあるから後で見てもらおう。
自分の頭で生き生きと「考える力」が豊かになると、灰色の日本人から脱却できるよね~~(笑)。単なる「事実学」から「意味論」へ、だね。