検察庁のきわめてお粗末な捜査能力は、最近の一連の政治事件で、誰の目にも明らかです。埼玉県知事の事件でも、鈴木宗男氏の事件でも、検察の主張の多くは根拠のないものだったことが裁判の過程で明らかになりました。
しかし、問題は、その【思い込み捜査】による検察の逮捕・取り調べ・起訴により、政治家は政治生命を失ってしまうところにあります。
たとえ、裁判で多くの容疑が晴れても、逮捕された政治家の政治的生命は、検察に「黒」と見られた時点で終わりになってしまいます。これでは、検察による政治支配であり、代議制民主主義にとって、許し難く、恐ろしい話です。
外国人から、日本の官僚独裁政治を支える組織が検察庁であり、【検察は、日本の民主主義の敵である】と断じられる所以です。
鳩山政権は、「検察官僚主義」に終止符を打ち、市民主権の民主主義の国をつくるために、警察組織と共にキャリアシステムの最たるものである検察組織の抜本的な改革に着手する必要があります。これが喫緊の課題であることは言を俟ちません。
武田康弘
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コメント
深く賛同いたします。 ( C-moon)
2010-01-21 14:51:09
はじめまして。
ニュースから訪問させていただきました。
小沢問題に関する検察の姿勢へのご意見、深く賛同いたします。
貼り付けられた読売新聞記事もそうですが、各メディアの一連の報道は
「関係者によると」という言い回しで、内容は特捜部しか知りえないものです。
3名の秘書逮捕後の記者会見がありましたが、その他記者会見を開いた様子もなく
検察によるリークと思われても仕方のないものです。
それをメディアが鵜呑みにし、立証されていない事実があたかも事実として
立証されているかのように報道され我々国民に予断を与えています。
予断は世論調査の結果を見ればわかるとおりです。
刑事訴訟法には予断排除の原則が明記されていますが
すでに検察は自らこの原則の分水嶺を越えていると判断せざるをえません。
こうした状況は、大本営発表を彷彿させ怖ろしいものを感じます。
検察は民主主義を理解しているのかさえどうか不安になります。
明治以来の独裁権力、霞が関の体制を護ることだけに終始し
その急先鋒として社会正義を掲げ突っ走っているのではないかと危惧しています。
改革が真っ先に必要なのは、強大な権力を握った検察であることに同意いたします。