次々と冤罪事件を引き起こしている検察ですが、その日本の検察を、第三者である外国人はどのように見ているかを知るのは、わたしたち日本人にとって、有意義なことでしょう。
世界的に著名なジャーナリストでありオランダ・アムステルダム大学教授でもあるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、ベストセラーとなった『人間を幸福にしない日本というシステム』(1994年刊)の中で、次のように述べています。
同書110ページ
検察は日本の民主主義の敵
日本の検察官たちは、日本の民主主義実現のうえで、最終的な、そして最も手強い障害物になりかねないとわたしは思っている。
日本の検察官は異常に強大な権限を持っている。逮捕・尋問・起訴するかしないか、自分ひとりで決める権限がある。外国人は、検察官にこのような高度の裁量権が与えられていることを知って驚いている。
知れば知るほど魂消る(たまげる)のは、有罪判決率が99.8パーセントと桁外れなことである。日本の裁判官は、いつも検察の言うことに同意していることになり、これでは、裁判は、実質的に検察官によって行われているも同然である。
検察庁は、まず第一に現状維持に関心がある。それが秩序維持の最善の方法だと思われているからだ。これは、日本の民主主義にとって重大なことだ。なぜなら既成秩序とはすなわち官僚独裁のことだからである。日本の民主主義を実現するためには、官僚の意思決定に政治家の支配が及ぶようにしなくてはいけない。それは現状を激しく破壊することになるだろう。官僚たちはなんとかそんなことにならないように努めるだろう。
日本の検察庁は法務省の統制化にあるから、結局は官僚制度全体の下僕ということになる。つまり、官僚たちが強力な政治家に脅威を感じはじめたら、検察が面倒をみるのだ。田中角栄にこれが起こり、金丸信にも起きた。小沢一郎やほかの改革政治家たちにも同じことが起きるかも知れない。
たしかにそうだ。でも政治家は腐っているのだから、検察が狙った政治家の身の上にその後おこったことは当然の報いだ、とあなたはおっしゃるかもしれない。もう一度申し上げるが、これは日本の政治制度への誤解の中で最大のものだ。この誤解を解く三つの要素をしっかり認識してほしい。
第一は、この本の前のほうでお話したように、政治家として名を成すには、大金持ちの家系に生まれないかぎり、金権政治の修羅場をくぐらざるをえないこと。第二は、政治家が選挙運動用の費用を集めるにあたって、どこまでが公式に許される範囲かきわめてあいまいなままだということ。第三は、恣意的な官僚支配のために、企業は政治家の取りなしに頼るのを余儀なくされているということだ。(115ページ・結)
あなたは、どう思われますか?