思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

民主的倫理とは何か。

2011-05-10 | 恋知(哲学)

民主的倫理とは何か。
その探求は、人が生きる上で、最大の課題です。

わたしは「民主的倫理」の提唱者ですので、考えるところを少しずつ書いてみようと思います。みなさんで確認しながら進める必要がある仕事で、長い時間がかかると思います。

まず、最初に確認しなければならないのは、わたしとあなた、個人と個人の約束は何よりも大切で、それがゆらげば、民主的倫理は大元から崩れるということです。上位者とか組織者との約束よりも、裸の個人と個人の約束が「価値としては上位にある」という原則を知らないと、民主的倫理は成立しません。

形だけがよい=形式や様式が優先する生き方は、心の真実のない不幸な生といえますが、それは従来の古い倫理(上下倫理)が生み出すもの。
人の話し方を聞けば、その人が民主的倫理を身につけた優れた人か、体裁優先で自己中の人かはすぐに分かります。気張らず自由に、しかも、相手の存在(エゴではなく)に対しての愛=肯定と優しさをもつ話し方をする人は、真に倫理的価値の高い人です。それに対して、言葉は丁寧でも、相手の存在に対する愛=肯定のない人の態度は、反倫理のあらわれでしかないのです。

民主的倫理を身につけてはじめて人は、人をほんとうの意味で(内容そのもので)尊敬することが出来るようになります。心からの愛、心からの肯定、心からの感謝、それがない人生は、闇です。損得の計算、打算、戦略、作戦による人生には勝利の形があるだけで、不幸です。

まず、第一弾はここまでにします。以上は、核心中の核心だと思います。


以下は、数日前に、白樺mlに出したわたしのメールですので、ご参考ください。

武田です。

今まで何度も感じたことですが、
わたしが氏名を特定して出したメールに対して返信がないことがあります。
内容に賛成でも反対でも、また、よく分からない場合でも、返信することは基本的な社会常識=関係性のルールです。
「良くわからないので考えてみます」とか「賛同できます」とか「うまく言えないのですが賛同できません」とか「意味がよく取れないのでもう少しく詳しくお願いします」いう一言でもいいので、返信する。ふつうの社会人にとっては当然のことです。

わたしは、若いころから「革新」と呼ばれる人々と多くの交流をもってきましたが、どうも彼らの多くが、「社会人としての良識」(公共道徳)に従った行動を取らず、自分の気分や都合を優先してしまう困った性癖があることを感じてきました。既成社会に対する「批判」の根拠が、自分の気分や感情、都合が許さないからというレベルでは、まったく説得力を持たないのは、言うまでもありません。

何をするにしても大事なのは、まず、自分自身を「責任主体」にまで高める努力です。わたしは、「相手のことは考慮しないで、自分の気分や都合を優先するのが当然」という思想を感じるので、多くの学者や文筆家や運動家に対しては批判的な目を持ち続けてきました。でも、それでは、社会人として失格なのであり、とても社会批判などする資格を持ちません。

「よい・美しい」に憧れ、自分の言動に責任をもつこと。ほんとうに自由な言動をすれば、必然として責任は生まれますが、それこそが人間が人間としての「よさ」を持って生きることのはずです。芸術価値、宗教価値を超えて【倫理価値】は人間にとって最大の価値であり、だからこそ、わたしは「民主的倫理」を探り、それに従って生きる「民主的人間」を生むための基盤となる知=「民知」を提唱してきました。

堅苦しく説教じみた古い道徳、上下倫理に従うのではなく、エロース溢れる人間性を肯定したよき倫理=実存的倫理=民主的倫理を持とうではありませんか。自他の心身と頭脳の健康のために。ぜひ共に!

どうでしょうか?批判、異論、反論など含めて、ご意見をお願いします。

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二通りの人間ー「売ったらあかん」(岡部伊都子)

2011-05-10 | 恋知(哲学)
人間には大きく分けて二通りのタイプがあるようです。
一つは、外なる価値意識を中心に生きる人、別の言い方では、外的刺激を受けることを楽しみとする人。
もう一つは、内からの感覚や思想の湧出を悦びとする人。
このタイプの違う両者は、そのタイプを変更しない限り、結局は交わることがありません。もし変更があるとすれば、外なる価値観で生きる人が、内からの湧出で生きる人になる場合だけで、その逆はありえないのです。

『隠される原子力』(2010年創史社刊)は、優れた放射能の研究家で、かつ、人間の生を総合的な見地から考察して原発問題を論じている小出裕章さんの著作ですが、その中で、一つの詩を紹介しています。

それは、戦前の教育の中で、信従の精神が大事と教えられ、許嫁に対して「天皇のために死んで来い」と言い戦地に送りだした随筆家の岡部伊都子さんの詩です。彼女は、戦争を当然とし、死を当然とし、兄や愛しい人々が戦地で戦うのを当然と考えていました。「敗戦によるショック」を受けるまで何も疑うことなく、女学校で教えられるままに信従してはならぬことに信従していたのでした。
彼女は、目を覚まし、内面の感覚や思想に素直に発言をはじめました。

「うったらあかん」

友達を      売ったらあかん
こどもらを    売ったらあかん
まごころを    売ったらあかん
本心を      売ったらあかん
情愛を      売ったらあかん
信仰を      売ったらあかん
教育を      売ったらあかん
学問を      売ったらあかん
秘密を      売ったらあかん
こころざしを   売ったらあかん
大自然を     売ったらあかん
いのちを     売ったらあかん
自分を      売ったらあかん
自分を      売ったらあかん
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