思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

二通りの人間ー「売ったらあかん」(岡部伊都子)

2011-05-10 | 恋知(哲学)
人間には大きく分けて二通りのタイプがあるようです。
一つは、外なる価値意識を中心に生きる人、別の言い方では、外的刺激を受けることを楽しみとする人。
もう一つは、内からの感覚や思想の湧出を悦びとする人。
このタイプの違う両者は、そのタイプを変更しない限り、結局は交わることがありません。もし変更があるとすれば、外なる価値観で生きる人が、内からの湧出で生きる人になる場合だけで、その逆はありえないのです。

『隠される原子力』(2010年創史社刊)は、優れた放射能の研究家で、かつ、人間の生を総合的な見地から考察して原発問題を論じている小出裕章さんの著作ですが、その中で、一つの詩を紹介しています。

それは、戦前の教育の中で、信従の精神が大事と教えられ、許嫁に対して「天皇のために死んで来い」と言い戦地に送りだした随筆家の岡部伊都子さんの詩です。彼女は、戦争を当然とし、死を当然とし、兄や愛しい人々が戦地で戦うのを当然と考えていました。「敗戦によるショック」を受けるまで何も疑うことなく、女学校で教えられるままに信従してはならぬことに信従していたのでした。
彼女は、目を覚まし、内面の感覚や思想に素直に発言をはじめました。

「うったらあかん」

友達を      売ったらあかん
こどもらを    売ったらあかん
まごころを    売ったらあかん
本心を      売ったらあかん
情愛を      売ったらあかん
信仰を      売ったらあかん
教育を      売ったらあかん
学問を      売ったらあかん
秘密を      売ったらあかん
こころざしを   売ったらあかん
大自然を     売ったらあかん
いのちを     売ったらあかん
自分を      売ったらあかん
自分を      売ったらあかん
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哲学ー反哲学。倫理ー反倫理。

2011-05-07 | 恋知(哲学)

今日の大学クラス(in『白樺教育館』)の授業は、原理次元の話をしました。哲学と倫理について、アウトラインを示しました。

哲学を肯定するには二つの立場があり、
一つは、従来の「哲学史哲学」(哲学書の読解を中心とする哲学)。
もう一つは、わたしが提唱し実践する「恋知としての哲学」(現象学的認識論の原理を踏まえ、日々の具体的経験を基に、さまざまな人間の営みについて自分の頭で考える実践)です。

それに対して、人間の生をすべて経験的次元に降ろして見る=認識の意味と価値の問題を考察しない思想は、「反哲学」です。


倫理についても同様に、倫理的価値を重んじるのには二つの立場があり、
一つは、従来の「上下倫理」(孔子の儒教道徳など)。
もう一つは、わたしの言う「民主的倫理」(言動の内容に付き、個人と個人の約束事を一番の土台に据える礼節)で、サルトルの実存的倫理も類似する。

これに対して、倫理を無視する立場は、「反倫理」です。


武田康弘
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経産省が独自に方針を決めるのは明白な憲法違反―原発推進の内部文書

2011-05-07 | 社会批評
経済産業省が「2030年―50年には原発をエネルギー政策の三本柱とする」という内部文書を出していることが明らかになりました。
福島の事故を受けて政府がエネルギー政策を根本的に見直すという方針を出したにも関わらず、経産省が独自の見解を出すというのは、明白な憲法違反です。

「明治憲法」とは異なり「日本国憲法」では、主権者は天皇ではなく国民なのですから、主権者である国民の「一般意思」を集約する政府の政策と異なる方針を官僚組織が出すことはできません。

これは「常識」の部類であり、今さら言うのも憚れますが、それほどまでに経済産業省は「深い病」にあるのです。このような行為を平然と行った官僚の責任は極めて重く、謝罪程度で済む問題ではありません。降格などの厳しい処分をしなければ、民主政治は実現できないでしょう。政府には厳正な対応を求めます。


武田康弘
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『隠される原子力』(小出裕章著)『原発を考える50話』(西尾漠著)

2011-05-04 | 書評

原発に関する本を二冊読みました。

一冊は、岩波ジュニア新書『原発を考える50話』(西尾漠著)です。
この45話目の「原発は地球を救わない」は、白樺教育館(ソクラテス教室)で、4年前から小学6年生の国語教材として使ってきたものですが、
全体を読んで感じるのは、科学的知見と人間の生き方や社会問題としての「原発」が合わせてきめ細かく書かれていて、とても説得力があります。

二冊目は、『隠される原子力』(小出裕章著・創史社刊)です。
これは、ジュニア新書の半分ほどの分量で読みやすいですが、ストレートに本質に切り込み、二酸化炭素問題の「常識」のウソについても明晰に批判をしています。さすがに優れた研究者です。


(ただし、自衛隊を廃止するのが憲法理念だとするのには、わたしは賛同できません。戦争を放棄する旨の憲法をもっている国は幾つもありますが(文春新書『日本国憲法を考える』西修著を参照)、自衛のための軍事力までは否定していません。)

この二冊、とてもお薦めです。

以下は、岩波新書『原発を考える50話』より抜粋。
23「揺れる大地」(P.100~103)

「巨大地震が発生すれば、原発のさまざまな機器が同時に破損します。「何重もの安全装置」があったところで、それらの装置も、やはり破損するおそれがあります。原発の事故対策としてよくいわれる「とめる、冷やす、閉じ込める」が働かない可能性が、地震の場合には大いにあります。
 原発を緊急に停止させる制御棒がうまく入らないかもしれません。運よくとめられたとしても、燃料は放射能による高熱のため、冷しつづける必要があります。原発の運転をとめれば発電所内でつかう電気の供給がとまり、冷却装置が維持できなくなります。非常用のディーゼル発電機を動かそうにも、同時に破損していてつかえないかもしれないのです。
 原発で燃やしたあとの使用済み燃料は、再処理工場や中間貯蔵施設に向けて運び出されるまで、原発内のプールで冷却されています。地震でプールの水が抜ければ、燃料が溶け出します。
 緊急停止に失敗して核反応が異常に進む暴走事故を起こしたり、燃料が溶けたり、タンクや配管が破裂したりして放射能が漏れ出すかもしれません。それを閉じ込めるはずの格納容器や格納容器を貫通する配管なども破損していて、環境に大量の放射能を放出するおそれがあります。
・・・・
 幸か不幸か原発は地震の静穏期につくられ、巨大地震を経験していません。・・・それがいま「日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつある、ということはほとんどの地震学者は共通に考えている」と石橋教授は指摘しています。
・・・・
 原発は大量冷却水と広い敷地を必要とするため、海岸地帯のきわめて地盤の弱いところにしか建てられないのです。地盤が悪ければ、地震のときの揺れは大きくなります。また、地震断層ができやすいという大問題もあります。地震断層が直下でできれば、どんなに頑丈に原発をつくっても、ひとたまりもないでしょう。
 そこで、電力会社などが、原発を建てるために、地盤データをごまかしたり、都合の悪いデータを隠したりすることになります。



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「正義」!?アメリカ人の回心がなければ、殺戮・悲惨はなくならないのです。

2011-05-03 | 社会批評

1096年に始まる十字軍は、ヨーロッパ諸国が豊かなアラブ諸国を略奪するために仕掛けた戦争ですが、そこでは、大義名分として、「聖地イスラエルの奪還」を言い、それが「正義」であるとしました。
16世紀にはじまる宗教戦争―キリスト教のカトリック対プロテスタントでも、互いが「正義」を主張しました。
その結果は、もう言語に絶する悲惨―殺戮の連鎖となりました。

「正義」を持ち出したら、オシマイなのです。

「殺害は、正義である」。アメリカへの敵対者とその息子を殺害するー天文学的なお金、米軍とCIAの総力をあげて、一人の人間とその子どもらを殺害すること。それが「正義」だ、というアメリカの言い分は、アメリカとイスラエルに日常的に殺されているアラブの人々にどう映るか?

なんの説明もいらないでしょう。愚かな「果たし合い」に勝利者はいないのです。少しは歴史から学ぶことが必要です。

進んだ文化と豊かな富をもったアラブ諸国を破った中世以降のヨーロッパは、キリスト教による支配を全世界に拡大し、今は世界の中心ですが、自らが「正義」であり、反対者は悪であるという論理を振り回せば、殺戮の連鎖は止められません。軍事力と経済力に乏しい側は、「テロ」で対抗する他にないのですから、「テロ」の脅威は拡散し、世界中が戦場になってしまいます。

アメリカは、その建国の歴史において、先住民を皆殺しにした過去を持つわけですが、それは、現代社会(人種、民族、宗教の尊重という人権が普遍化した世界)には通用しません。アメリカ側の反省と回心がなければ、いつまでも悲惨・残酷はおわらないのです。これは原理です。

武田康弘


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よしくんぱっと
2011年05月04日 03:34

当然のことですが、お祭り騒ぎをしているのはごくごく一部のアメリカ人で、そしてこれもいつものことですが、それをメディアが強調してニュースに流す、ということがおきている。過剰反応はしないように(笑)。マスコミの体質は、国が変っても同じです。煽ってナンボ、ということです。

それから、テロを無くすのではなくてテロに勝つことがアメリカ人には重要なこと、という説明もできると思います。「まあまあ」と諌めるのではなく、「かかってこんかい!」とケンカを受けて立つ精神構造というか。多くのアメリカ人にとっては、後者でないと多分人生の充足感が無いのではないかと思います。アメリカの国歌でうたわれているストーリーを共通項として持っている人たち。「天皇陛下、おしたいいたします」みたいな国歌を持った人たちとはだいぶ違う。

>それが「正義」だ、というアメリカの言い分は、アメリカとイスラエルに日常的に殺されているアラブの人々にどう映るか?

“それが「民主主義」だ、というタケセンさんの言い分”と言い換えると、民主主義に関して私が何度もタケセンさんに言ってきたことに似てますね。民主主義をおしつけようとしてもアラブの皆さんは受け付けない。それでも行ってしまうんですね、アメリカは。

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タケセン
2011年05月04日 11:11

よしくんぱっとさん

前半はよく分かりますが、
最後のところは、どうもわたしの言わんとするところが伝わっていないようです。

わたしのいう民主主義とは、語源通り、ふつうの人々による統治という意味です。プロテスタントの「予定説」に起源をもつ人権と民主主義(キリスト教を支えとする西欧発の思想)という狭義の民主主義ではなく、人々=当事者を等しく主権者とする統治を民主主義と呼んでいます。

個々人の自由がだんだんと解放されて、人間存在の対等性の意識が高まった社会においては、
互いの自由を認め合うという考え方・態度に基づいて、公平な議論でルールを決めるという思想を原理として承認し合うほかにはない、という意味です。
それを一口で言えば、「自由の相互承認に基づくルール社会」となります。

日本では、鎌倉時代に浄土宗→浄土真宗による「ご同胞ご同行」という思想・運動が民主主義の始まりで、戦国時代に各地で行われていた自治政治(惣村、堺などの自由都市、一向宗自治区など)は、広義の民主主義でした。
それらの自治政治=民主主義の伝統の上に、現代の立憲主義による民主政治があるわけです。したがって、アメリカの民主主義よりもはるかに長く深い伝統があります。

それは、アラブ社会でも同じで、アラーの神の前での平等思想は、古代の民主主義なのですが、それを近現代社会に適合させるためにどのようにするかは、彼らが試行錯誤の上に考え出すもので、他国が干渉してもダメ、というより、干渉した時点で民主主義(広義の)ではなくなります。欧米が掲げる民主主義は、どうも狭義の民主主義=イデオロギーに基づくものでしかなく、それでは世界的な普遍性は得られないと思います。

武田康弘




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米はトモダチ作戦で日本に【65億円】、日本は米軍に5年間で【9400億円】!東京新聞社説

2011-05-02 | 社会批評

アメリカが、震災への「トモダチ作戦」として行ったのは、どういう内容と意味なのか。

今朝(5月2日)の「東京新聞社説」は、見事にその本質を穿ったものです。

アメリカがいかに世界戦略として日本を必要としているか、明晰な分析と解説で、他紙を大きく引き離す内容です。

予算の面だけを見ても、今度の「トモダチ作戦」でアメリカ政府が用意したのは、最大で65億円。
それに対して、日本の米軍へのおもいやり予算は、毎年1881億円、5年間で9400億円。
自民党政府でさえ避けてきた負担増を、民主党政権はやすやすと飲み込んだのです。

ぜひ、全文をお読みください。



日米を真のトモダチに 大震災と米軍支援
2011年5月2日


 東日本大震災で米軍は「トモダチ作戦」を展開し、最大規模で日本を支援した。感謝だけで終わらせず、支援の背景を考えて真の日米関係を築きたい。

 米軍は米韓合同演習に向かう途中の空母「ロナルド・レーガン」を東北沖に差し向け、原子力災害に対処する「虎の子」(北沢俊美防衛相)の専門部隊まで日本に送り込んだ。支援の狙いを分析すると、三つに分類できる。

◆有事司令部を災害に転用
 一つは、自衛隊との連携を通じて、良好な日米関係を内外にアピールすることである。横田基地の在日米軍司令部に新設された「トモダチ作戦」司令部の「統合支援部隊」は、ハワイの太平洋軍司令部にある常設司令部「統合任務部隊五一九」を移してつくられた。

 次には一九九七年の日米ガイドラインで合意した「日米共同調整所」を防衛省、横田基地、陸上自衛隊仙台駐屯地の三カ所に立ち上げた。

 いずれも日本有事や周辺有事に活用する予定の米軍や日米の組織だが、災害に転用したのである。これにより、緊急事態に自衛隊と米軍が密接に連携できることを日米双方が確認し、そのことを中国や北朝鮮にも示したといえる。

 二つ目の狙いは、オバマ米大統領が掲げた新規の原発建設を推進するクリーンエネルギー政策に影響を与えないこととみられる。米国製の原子炉を導入して稼働した福島第一原発での事故が拡大し、在日米人や米本土に放射能被害が及ぶ事態になれば、政策転換を迫られかねない。

 日本政府から十分な情報が得られないと分かると、米政府は希望を募って在日米軍の家族七千五百人を帰還させ、福島第一原発の周囲八十キロを避難地域に指定した。これを受けて「トモダチ作戦」は八十キロ圏外で行われている。フクシマを米国に波及させないことに関して、米政府は徹底している。

 三つ目は、日本を経済大国の地位から転落させない狙いと推測できる。下請けの部品工場が集まる東北地方の被災は、自動車メーカーなど製造業に大きなダメージを与えた。復興に巨額な費用が必要な中で長期的に輸出が滞れば、国力は衰退しかねない。

 世界の勢力地図が書き換えられる場面では、自衛隊による対米支援を織り込んだ米国のアジア太平洋戦略も見直しを迫られる。中国との戦略・経済対話を進めつつ、日本、フィリピン、シンガポール、タイ、豪州といった米国の友好国による、いわゆる中国包囲網の手を緩めないのが硬軟巧みに使い分ける米国の戦略である。そこから日本が脱落する事態は想定外といえる。

 復興資金の必要性から防衛費が大幅に抑制されれば、自衛隊による中国海軍の常時監視が期待できなくなり、自衛隊という緩衝材を抜きに米軍が直接、中国軍と向き合わざるを得なくなる。日本の早期復興は、米国の安全保障にとって極めて重要な意味を持つ。

 軍隊は外交の道具として使われる。そして外交は、純粋な善意だけで成り立つはずもない。みてきたように「トモダチ作戦」は、米国の利益に直結している。

◆高どまりの思いやり予算
 米政府は「トモダチ作戦」に用意した予算は、最大で八千万ドル(約六十五億円)と日本側に伝えた。一方、日本では在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)に関する新たな特別協定が四月一日に発効した。こちらは毎年度一千八百八十一億円ずつで、五年間にわたり日本側が負担する。総額は一兆円近くにもなる。

 これまでの特別協定は、在日米軍基地で働く日本人従業員の労務費と米軍施設の光熱水料の二本立てだったが、新協定は米国の求めに応じ、提供施設整備費まで含めた。提供施設整備費は在日米軍による要求に対し、防衛省が必要性や日本の財政事情を勘案して金額を決める柔軟性があった。

 九三年度の一千五十二億円をピークに年々減り続け、二〇一〇年度は二百六億円と五分の一にまで圧縮された。これにより、思いやり予算全体も九九年度を頂点に減少してきたが、施設整備費を特別協定に取り込んだことにより、思いやり予算は固定され、高どまりする。自民党政権でさえ避けてきた負担増を民主党政権はやすやすとのみ込んだ。国会では社民党と共産党が「思いやり予算は震災復興に回すべきだ」と主張したが、採用されなかった。

◆日米協議で負担減らせ
 危機にひんしたトモダチ=日本は、米軍による安全・安心と引き換えに、新特別協定による財政負担や相変わらずの基地負担を背負う。負担は少しでも減らすよう努めるのが真の友情であろう。いまこそ在日米軍のあり方について日米で議論を深めるべきである。
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