手賀沼公園の新緑。
コブハクチョウの親子やカモを撮ったのと同じ日(9日)の写真です。
(データ:ソニーα99 zeiss プラナー50mm F1.4)
手賀沼公園の新緑。
コブハクチョウの親子やカモを撮ったのと同じ日(9日)の写真です。
(データ:ソニーα99 zeiss プラナー50mm F1.4)
時事通信 5月10日(土)14時9分配信(赤字は武田による)
政府は集団的自衛権の行使容認に向け、秋に予定する臨時国会で自衛隊法を改正し、「防衛出動」規定の緩和を目指す方針を固めた。日本への武力攻撃がなくても、「わが国と密接な関係にある国」への武力攻撃が発生すれば首相の命令で自衛隊が武力行使できるように改める。政府関係者が明らかにした。
自衛隊法76条は、外部から日本への武力攻撃やその恐れがあり、首相が日本を防衛するため必要があると認める場合に自衛隊の出動を命令できると定める。
自民党内には、集団的自衛権行使の根拠として「集団自衛出動」の規定を新設する案もあったが、行使容認に慎重姿勢を崩さない公明党に配慮し、「防衛出動」という名称を変えずに、自衛隊の任務を拡大する。
集団的自衛権を行使する場合、現在の防衛出動と同様に閣議決定を経て首相が命令。また国会の事前承認も義務付けるが、緊急時は事後承認とする。
集団的自衛権の行使により、日本周辺の公海上での米艦防護などが可能となる。 政府は「密接な関係にある国」について、同盟国である米国に限定せず、オーストラリアやフィリピンなども想定。地理的な制約は設けず、首相が総合的に判断するため、自衛隊の活動範囲は改正案にも盛り込まない方針。
家のすぐ近くのいつものわたしの運動場=手賀沼遊歩道へ、今日は珍しくカメラを持って行きました。
コブハクチョウの赤ちゃんが、お母さんと水田に移動するところが撮れました。
(写真データ:ソニーα99 zeissゾナー135mmF1.8)
以下は、武田による「民主制の始源かつ本質」の定義です。昨日と一週間前の二回、わたしの地元・我孫子市の中央学院大学で講義しました。
古代ギリシャ(紀元前400年代)に起こったペリクレスによる民主制(市民による統治)も、ソクラテスの恋知=哲学(知への恋)も、共に、恋愛が象徴する「私」から始まります。
神への愛(アガペー)という宗教的な絶対感情や、
愛国主義=国家的集団主義の感情とは次元を異にする
恋愛(エロース)が象徴する「私」からはじまる公共性=相互性こそ が、人間性を肯定する民主制の政治(自覚したふつうの人々による統治) をつくる。
(※ 参考 厳しい必然の神・アナンケを打ち破ったのが恋愛の神・エロースです。したがって、エロース神とは、人間的自由の象徴でもあるのです。)
わたしたち日本人は、以上のような意味で「私」や「民主制における公共性」を捉えられないために、「私」の精神的自立を持てず、【形式と序列の支配】の中に埋没してしまうわけです。
集団的・仲間的「私」(あるいは宗教的「私」)しかないのでは、人間的魅力のない悦びに乏しい人生しか与えられません。「人間を幸福にしない日本というシステム」は、恋愛に象徴される「私」の脆弱さに由来しているのです。みなさん、「私」になりましょう!!
また、キリスト教という強い一神教により基礎づけられた人権と民主制をもつ欧米も、日本などとは逆の意味で歪んでいます。歴史的には近代民主制は欧米で現実化したわけですが、みなの納得を生む普遍的な了解を得る以上に、宗教的絶対の観念に縛られるために、民主制が豊かさや寛容性に向かわずに、主知主義的となり自己絶対化に陥りがちです。欧米人はその点を反省して、キリスト教のアガペーという愛よりも始原的なエロースの愛が開示する「私」に率直になることが求められます。「イデオロギー化された自我」ではなく、恋愛に象徴される「私」から公共性を考えなくてはいけません。
武田康弘
テレビを見ると、金持ち礼賛。
芸能人も、評論家も、学者も、一般の人々も、経済が第一と言っています。
いかにして多くの金を得るかに血道をあげる。
まるで、金品に取り囲まれた生活をすることが人生の目的のようです。
できるだけ多くのお金を自分のもの、一族のものとするために努力する。
その勝者を讃え、テレビはそういう人や一家を昔の凱旋将軍のように扱います。
人類が(日本人が?)が爬虫類の戦闘脳に逆戻り、単純で愚かな存在に堕落していく。堕落を恥じる心さえ失って。
意味を探らないパターン知の集積=受験勉強は、どんどん人間を退化させていき、《情報ロボット=自発的ドレイ》ばかりの社会となっていきます。さて、どうしましょう?
追記:
誤解なきようにと思い、書きますが、
わたしは、お金なんかどうでもいい、と思っているのではありません。その反対で、お金は大事であり、ありがたいものと思っています。もう40年近く前から、月謝を頂くと、両手を合わせて拝んでいます。お金はとても大切で、わたしのように直接頂く「月謝」で生活している者にとっては、払ってくれる皆さまにいつも感謝の心をもっています。
わたしが批判しているのは、金額で威張る、お金儲けを原理として生きる、善美を目がけずにお金を目がける、という思想と生き方です。
昨日の記事では、天皇の明仁さんの談話だけしか載せませんでしたので、
美知子さんの文書での回答も載せます。
美知子さん
誕生日(2013年10月20日)の写真
以下は、「皇后さまにとってのこの1年,印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。」との宮内庁記者の質問に対する美知子さんの文書での回答の一部です。
「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」
(写真とも宮内庁のホームページより。なお、青字・太字・下線は、武田による)
下のBlogに書きました通り、4月28日は、昭和の日ではなく、戦争反省の日とすべきですが、
今日5月3日は、明治政府による天皇主権(現人神で主権者)から、市民(シチズン)としての国民が主権をもつ日へと変わった記念日です。
戦後の民主制で、「天皇陛下は生き神さまだ」とするおぞましい世界から解放され、人間の対等性と市民的自由が現実のものとなりました。歴史の大転換でした。しかし、いまそれを元に戻そうとする野望をもつ首相とウヨク思想の政党が勢力を伸ばし、再び、人間の対等性と市民的自由を奪おうとしています。今度は、巨大資本の下に国民を隷従させるのが目的です。人間を、個人としてではなく、外から操作できるロボット(自発的ドレイ!)として遇するのです。「愛国心」という「狂気」を学校教育によって子どもたちに仕込み、天皇・皇室を敬う人間をつくるという所業が白昼堂々とまかり通る国は、近代国家としては「すでに終わっている」としか言えません。なんという愚かさ。低次元。
全体主義的な国家から、民主制の国へと変わったのが、69年前です。
中国への侵略からはじまり、対米戦争へと続く丸14年間の戦争の末、無条件降伏で敗戦し、日本万歳!天皇陛下万歳!という国家主義から、民主的な新憲法の下で、新しい民主制の国へと歩を進めたことの偉大な意義をわたしたちは肝に銘じないと、再び、みなが不幸に意沈みます。
このことは、今上天皇の明仁さんと皇后の美智子さんもよく知り、繰り返し、現憲法を順守することを表明し、さらには、天皇大権の明治憲法発布以前につくられた「五日市の民衆憲法案」を現地にまで出かけてよく知り、その強い人権思想に「深い感銘を受けました」と述べています。天皇と皇后は、安倍自民党の改憲への言動に対して、いまの天皇に許される最大限の抵抗をしています。
以下は、昨年暮れの明仁さんの(誕生日に際しての)会見における発言です(太字と下線は武田による)。
80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
傘寿を迎える私が,これまでに日本を支え,今も各地で様々に我が国の向上,発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み,これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが,年齢による制約を受け入れつつ,できる限り役割を果たしていきたいと思っています。
80年にわたる私の人生には,昭和天皇を始めとし,多くの人々とのつながりや出会いがあり,直接間接に,様々な教えを受けました。宮内庁,皇宮警察という組織の世話にもなり,大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。
天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが,私は結婚により,私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え,これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
これからも日々国民の幸せを祈りつつ,努めていきたいと思います。