思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

自己宣伝の「おぼっちゃま首相」による日本支配ーNHKは政府放送局へ。元自民党総裁の批判さえ伝えない。

2014-05-30 | 社会批評

 安部首相は、自著「美しい国へ」で、「軍事力で相手に勝ことが必要だ」としてレーガンやサッチャーを称賛し、保守主義ー天皇制の日本こそ誇るべきものであり、特攻隊員たちは、その歴史の大義に殉じたのだ、と書いていますが、

 こういう想念に憑りつかれて、日本を「自分の思い描く国」にするために突っ走っています。主権者の「一般意思」を実現するのではなく、特定の思想を国家権力を使って現実化させるという恐ろしい行為ですが、自民党の長老たちが、その危うさを指摘しても聞く耳をもたず、「自分と同じ考えをもつ仲間を審議会の委員にして、自己満足の答申を出させている」(河野洋平自民党元総裁の言)のです。近代民主制の原理である「立憲主義」まで否定して、国の基本姿勢を自分勝手に変えてしまいます、

 これほどまで露骨な権力支配をした総理大臣は過去に例がありません。原発問題でも憲法問題でも、あらゆる部門で批判者を排除し、自分の友達・仲間で固める。NHKという公共放送局を、経営委員から会長まで首相と同じ思想(戦前の日本主義)をもつ人間に入れ替え、ニュースは、北朝鮮や社会主義国と同様な「政府の宣伝」放送とする。元自民党幹事長の安倍批判も、元自民党総裁の安倍批判講演も、批判者の言は何も伝えないで、公共放送?

 教科者も政府の意向を書かせる、として、文部科学省に検定させると言いますが、こういう政権は、すでに近代民主制の原則を逸脱しています。この連続する暴挙=「暴挙の日常化」に対して、マスコミのテイタラクは目を覆うばかりです。彼らは、権力批判によって民主制を担保するという最大の使命を忘れ、ただ、時の政権に寄りそうのみ。これでは、自殺行為というほかありません。戦前の日本が辿った「国体思想」(全体主義ー批判者は排除する)という狂気の歴史から学ばないのには公共的怒りと憤りで、言葉もありません。わが日本人は、なぜこんなにも愚かになったのか、悲しくなります。

 ぼくちゃん安倍ちゃん、なんでも安倍・安倍、自己宣伝は毎日・毎日。
自分で、「安倍政権では・・・」「アベノミクスの成果です・・・」を連発し、恥かしげもなく得意顔。
公人として失格なのはもちろん、個人としても、自己反省のない反倫理の言動の連続で失格です。こういう極端なまでの自我主義者(自分勝手なタカ派のおぼっちゃん)を支持するわが日本人とは、何なのでしょうか。戦前も同じでしたので、先祖返り?

「人間」ではなく「日本人」
「私」ではなく「国民」。
「個人」ではなく「組織人」。
 暴力団じゃあるまいし、です。

 
武田康弘

コメント (2)
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