佐藤良平球団代表は、「新しい風を入れたい」とか言ったらしい。またど素人がつまらん比喩で遊びおって。風で野球が勝てるのかよ。そして落合監督の次は、高木守道氏らしい。そして「失敗は許されない。余命を懸けてやる。」と高木氏はコメントしたらしい。氏はもう70歳である。本人がどう思っていたとしても、「余命を賭けてやる」と70歳になった人に言わせてはならないのではなかろうか。 余命を賭けると言ってよいのは、失敗しても何回でも賭けられるほど十分時間がある若い連中だ。
首位ヤクルトに4.5ゲーム差に迫っての4連戦の数時間前、中日落合監督の今シーズン限りの退団が発表された。
気が付いてみたら、落合監督は8年間指揮をとっていたわけだが、日本一1回(←53年ぶり)、優勝3回、2位2回、3位1回、それ以外の順位なし、の成績である。
2004 優勝
2005 2位
2006 優勝
2007 2位 日本一
2008 3位
2009 2位
2010 優勝
2011 現在2位→ヤクルト負けていいよっ
どうみても、私が20代までに見てきた中日の成績ではない。まるで昔の巨人か西武である。それまでの中日は10年に一度優勝すりゃいい程度のチームであり、当然そんな確率では日本一にしょっちゅうなれるはずがない。いつも巨人の優勝のお膳立て、勝率5割をうろうろ、優勝がないとわかると、中日スポーツの一面は、他のスポーツが取って代わる。永遠に最下位が続いても新庄の一本のヒットで大騒ぎの阪神デイリースポーツの方が、まだその意味ではましである。
ちなみに私の大学院時代の中日の成績……暗黒すぎる。
1995 5位
1996 2位
1997 6位
1998 2位
1999 優勝
2000 2位
2001 5位
2002 3位
あれ?私の心が殊更暗黒に見せていたらしく、優勝したこともしらなかった……が、もはや中日ファンの感覚は、V9以降の巨人ファン並みであり、優勝しなければ満足できないのだ。昔の巨人ファンは「巨人に勝つチームは非国民」といった勢いで完全に頭がイカ×テいたが、いまの中日ファンなら1㍉ぐらい気分がわかるのではなかろうか。監督が川上から長嶋に代わった巨人がいきなり最下位に転落した時の、ファンやメディアの発狂ぶりを思い出してみればよい(幼児だったので私は記憶にございませんけど)。常勝軍団のファンは潜在的にもう発狂してるんだよ。現在の中日ファンはBクラスで黙ってる昔の中日ファンじゃないぞ、たぶん。
野球人気が早慶戦などの大学野球からプロ野球にうつったのは、長嶋茂雄が立教から巨人にうつった時からのようである。もしかしたら、野球の報道が選手中心ではなく、「野村楽天」とか「落合中日」とか言ってチームの監督中心になったのも長嶋が巨人の監督になってからかもしれない。前に長嶋自身がNHKで語っていたが、野球で戦後復興を支えるために意図的にヒーローを演じていたという。戦争や政治と同様、我々はものの見方までメディアに(そしてメディアによる社会的効果に期待して演技する人に)振り回されている。しかしメディアを我々が信用できなくなって、陰謀史観的になりあれこれゴシップを想像するようになることは、今度は我々がメディアレベルの軽薄さにいずれは墜ちることを意味している。そもそもメディアの堕落は、我々の民度の堕落の反映以外の何物でもない。売れなきゃ困ると思ってくだらないレベルに墜ちるのがメディアだとしたら、我々も聞いてくれる人がいないければ淋しいと思ってくだらないことを喋り始めるに決まっている。現にそうなっている。
それはともかく、弱いチームのファンは、選手や監督が卓越したスポーツ人間であることよりも芸人みたいであることを望んでしまう。長嶋だって、巨人がV9時代の強さをなくしてから、より道化っぽくなってしまったではないか。野球はどうでもよくなってしまうのだ。のみならず、もともとファンですらないメディアが野球を大切にした報道をするはずがなく、それを読んだ読者もますます野球とは関係ないことで騒ぎ出す。「愛されるチーム」だか「親しみやすい監督」だか知らんが、野球その物とは関係ないだろう。野球は確かに興行ではあろう。でもマッサージとかレストランじゃないんだよ。芸術に近いんだよ。そのものに興味がない人間が、金を払ってるんだからもっとサービスせえとうだうだ言う権利はない。これは野球に限らないが、卓越した人間に対する畏怖の念を忘れた国民が民主主義なんか出来るはずがない。我々は完全に人間としては平等であるが、全ての人間の声が平等に扱われなくてはならぬということはない。為政者の声の押しつけではなく、良質な声がひたひたと知らないうちに「選別」されてゆくのに我慢することが民主主義の精神である。そのためには、ニーチェ的な意味での奴隷の声は無視するのが一番である。そんなうまくいかないことはわかってはいるが……。問題は、こういう事情が、今の経営者やリーダーに自覚されてるかどうかである。自覚してぎりぎりの選択をするのはいいかもしれんが、「客のため」とか「所詮資本主義だから」程度の認識で苦悩しているつもりになっているとしたら、こまったもんじゃなかろうか。そして、そうでないと、例えば学問やスポーツしか秀でていない人が逆に「日本の中で自分は孤立しているがだからこそすごい」といった全能感に溺れていき、こちらはこちらで子ども化して行く事態を防ぐことは出来ない。それと関係あるかわからないが、私は芸人やスポーツ選手のトップクラスの給料は明らかに高すぎると思っている。政治家の給料に文句を付ける大衆が、何故かスター達の給料に文句を付けないのは、彼らが抑圧され疎外されていると思っている大衆の自意識の鏡の役割をしているからかもしれない。
とりあえず、中日の黄金時代はたぶん今年で終わりかもしれない。でも今日はとりあえず勝ったみたい。