頭がふらふらしていたので、『ちはやふる(一)』を読んだ。百人一首のマンガである。どうやら小学校編はすぐ終わり、二巻で高校生編が始まってしまうらしいが、わたしはもっと小学校編がよみたい気がした。小学校高学年の成熟が人生の最高到達点とも言えるのは、みなさん身が覚えがあるでしょう?ないですか。そうですか。
右は、好きなCDでときどき聴く。ウゴルスキのピアノ、ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団のスクリアビン。スクリアビンの特徴は無垢性だと思う。(ちなみにマーラーも私はそうだと思う。)だから『ちはやふる』によく似合っていた。これが、彼の音楽あまりよく思わない人にとっては「彼のオーケストレーションは豚がオレンジを見分ける程度」に聞こえてしまうわけだ(たしか「ショスタコーヴィチの証言」に、グラズノフが言った言葉としてかいてあった気がする)。無垢といっても豚まで行かないだろうとは思う。のみならず、この無垢性は20世紀の神秘主義(というより快楽主義か……)を予見していた。よく言われていること(かどうだかしらんけど)だが、スクリアビンはピンク・フロイドなどの前触れである。交響曲第5番のピアノの役割は、ロックバンドのギターに近いものがある。突然ソロをとる、そして音の洪水の中に引っ込む。19世紀の音楽は、ワーグナー路線が映画音楽として生き残り、スクリアビン路線がロックコンサートとして生き残っているのではあるまいか。
……たんなる妄想ですけど。