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メタボリックファシズムをおそれてダイエットして帰ってきたタマちゃん
荒川にアザラシが来たので、さっそくニュースになっていた。
日本に生息している人間の馬鹿度をはかるのは簡単である。一日に言った「かわいい」の数を数えればよい。「かわいい」のファッショぶりについてはさっそく小田嶋隆氏が的確に批評している。(「「かわいいー」という同調圧力と日本の言論」http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111013/223181/)
しかし、この同調圧力をどうにかするためには何をしたらいいのだろう。ある種の社会学者やマルクス主義者なら、毒を以て毒を制すと称し、もはやこの「かわいい」言説の繁茂を同調圧力にとどめておくにはもったいないと思うかもしれない。だいたい日本の同調圧力は、上からの強制ではなく、各人の処世術の集合にすぎないから……。この状態を近代社会へ昇華するためには、とりあえず上からの強制を、本物のファシズムの体験を、というわけだ。「かわいい」が正義だというなら、「かわいい」を、民主主義の形式的強制や共通語の強制と同じく、あらゆる物に対する価値判断として強制したらどうであろう。
女の子→かわいい女の子
たまちゃん→かわいいたまちゃん
メタボ→かわいいメタボ
喫煙→かわいい喫煙
学級崩壊→かわいい学級崩壊
いじめ→かわいいいじめ
差別→かわいい差別
つなみ→かわいいつなみ
殺人→かわいい殺人
離婚→かわいい離婚
DV→かわいいDV
放射能→かわいい放射能
……不謹慎すぎて怖くなってきたのでもうやめておくが、この怖さこそ日本の社会の同調圧力の正体に他ならぬ。言論の自由とは何か?もちろん、本当に自由でなければならない。それに耐えられない公共性などありえない。……このような理路を辿って人々は真の民主主義にいずれはたどり着くであろう。
しかし、はたしてそうか?
上の例をみればわかるように、そもそも「かわいい」などという認識は認識として幼稚園レベルなのだ。そんなレベルの認識を動かさずに操作をしようとしてもだめであろう。この自覚こそが、上のような同調圧力ファシズムも幼稚な不謹慎な暴言を回避するであろう。
すなわち、まずは荒川のアザラシとやらを穴の空くほど観察し科学的に分析しつくした描写をはじめるべきだ。