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昭和の終わり頃だったか、……そんなころ、私の周囲でもこれを読んでいた奴が結構いたが、だいたいちょっとおっちょこちょいというか、はっきり言うと馬鹿が多かったと記憶する。
といっても、私は「かわぐちかいじ」を「さいとうたかを」と間違えていた位だからろくなものではなかった。というか、私は小学校から高校時代まで漫画を殆ど読まなかった。少し読んだものといえば、「ドラえもん」(←しずかちゃんがエロかったので読み続けられなかった)、「土佐の一本釣り」(←そこら辺に落ちてた)、「焼け跡の元気君」(「赤旗」に載ってた)ぐらいだ。小学校高学年の頃、「はだしのゲン」(←家に突然やってきた)を全巻読んだのがちゃんと漫画を読んだ最初じゃなかろうか。
こんな感じだから、私は感覚的に夏目房之介やいしかわじゅんの漫画青年世代より前の世代のような気がしている。実際はこの人達が大学生なのに電車で漫画を読んで顰蹙を買っていた頃生まれたのが私である。だから漫画青年世代の人が奴隷根性から「漫画は文学を超えた」とかいまだに言っているのをみると、「若造は遊んでないでマルクスとフロイトを読め」と説教したくなる。
閑話休題。……というわけで「かわぐちかいじ」や「さいとうたかを」の区別が付かなくて当然。実際ゴルゴ13が一匹狼ではなく、一族狼みたいな感じになってノーチラス号に乗れば「沈黙の艦隊」の海江田四郎になるではないか。ならない?
私が2000年代に入ってから始めてこの漫画を読んだ時気になったのは、主人公達の表情である。ゴルゴ13もだいたいにおいて無表情だが、これは尋常でないお笑いキャラだからいい(←あれ?違うの?)として、海江田や深町のポーカーフェイスは普通にあり得る人間のそれであるかのように描かれている。(第1巻で海江田が潜水艦の中でモーツアルトの41番を流しながら作戦遂行する場面があるが……、このように音楽に引き込まれずに戦争をやれる人間とは正直付き合いたくない。)手塚の主人公達が闘う時に感情的になるのとは違って不気味だと思った。
そういえば海江田のような表情をしたやつが私の知り合いにもいるな。コンサルタントか何かやってるやつだけど……。あまりに創造性がないので、批評や支援にまわったとかしか思えん奴である。だいたい「内部」でいまいち自信がないので「外部」に立ちたがるのが、こういう人間の特徴である。日本でうまくいかないから外国に行って威張るとかね、結構いるではないか(笑)例えば学者の場合、博士号とか論文数とかに過剰にこだわるのも外部に立つということである。
村上龍のメールマガジン『JMM』で、作家の冷泉彰彦氏がジョブズとアメリカのデモの共通性──「アメリカプラグマティズム」──をあげて論じていて面白かった。(『from 911/USAレポート』第535回、「ジョブズの死と雇用デモ、アメリカン・プラグマティズムの伝統」)氏はジョブズについて「その直感的な才能とか、感性といったものだけでなく、徹底的に結果にこだわり、結果のためなら節操も捨てるプラグマティズム、その巨大な成功例として理解するのが正しいのかもしれません。」と述べている。それとアメリカの若者のデモも同じで、最終的に職(結果)にありつくために騒いでいるのであり、そこに「思想」や節操はないというわけである。全面的にはそうではあるまいが、そういう要素は確かにありそうなんだよな……。言うまでもなく、この「結果」というのが上の「外部」である。