![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f3/08c4071b0b6258da4fcbd88a93930c91.jpg)
この前韓国の映画「TSUNAMI」をみたのだが、──あまり集中してみていないのでおおざっぱな印象だけど結構よかった。私は、大震災の津波以降、津波や大災害を描いた作品を努めて見たり読んだりするようにしている。不謹慎だとかいいつつ目を背けているよりは、作品に現れている我々の思考の習慣について考える方がいいと思う。「がんばれニッポン」とか「復旧・復興がんばれ」の方が、他人事の匂いが濃厚すぎてよっぽど不謹慎だ。
東日本大震災以前の映画で、スマトラ沖レベルの大地震が、対馬あたりで起こったらどうするかという映画である。
津波の描写やそこで逃げまどう人々の描写、津波の後の誰かの演説シーンとかも含め、どっかでみた感じのショットが多く、「ディープインパクト」や何やらの影響が濃厚であるように思われる。でもまあいいや。やりたい放題が韓国映画の真骨頂であろう。が、……東日本大震災の「実写」を見た我々にとってははっきりとわかるが、これは津波の波じゃない。映画で描かれた「隕石衝突」による波である。波の高さが100メートルか……。冗談じゃない。
ドラマでは、海難救助隊のイケメンが大活躍、日本でもそんな映画があった。「日本式仲良くしようナルシズム」爆発でみていられなかったが……というか途中で寝た。
それはともかく、旧約聖書の世界観濃厚のハリウッド洪水映画に対して、この映画は、「悪い奴は流れてしんでよい」のハルマゲドン的怨恨ではなく、不謹慎な比喩だが「過去を水に流す」というテーマが追求されている。自分勝手で離婚してしまった過去、開発業者に地元を売ろうとした過去、惚れた女の父を仕事上の判断ミスで死なせてしまった過去、貧富の差による失恋の過去、他にもあったような気がするが、そんな過去を水に流して新たな段階に進めるきっかけが津波だったのである。ご都合主義もいいところだが、私は上のハルマゲドンよりましな気がする。嫌らしい怨恨がない。コミュニティーの大事さとか、再生とかいう観点でみても、「地元意識」のある人間こそ、いざとなりゃほとんど赤の他人さえもを助けるといった事態が強調されていたから、宮台真司などが喜びそうである……。現実の韓国でもこうはなっていないと思うし、理想は理想だと思うが、日本ではこんな物語さえも作られる見込みがないのではなかろうか。映画の中ですら我々は言論の自由が奪われており、役者達が社交辞令をしゃべらされている。これでは鬱屈が堪るばかりで、その結果、その鬱屈をはらすのが目的となり、水に流す余裕はない。今回の地震の後だって、津波によってむしろルサンチマンの大洪水だったではないか。過去を水に流すところか、過去が思い切り復活してくるのが我々の国であった。
とはいえ、韓国の内実が映画のようであるとは限らない。我々の幽霊のような抑圧ではなく、本物の抑圧が行われているのかも知れないからだ。私は想像しかできないが、そんな気がする。韓国の映画では、この映画でもそうだったように、女の子が優男をぶんなぐったりする場面が非常に秀逸だが、これは現実にぶん殴られなければどうしようもない男がたくさんいる証拠のような気がする。韓国だけではない。