★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ずくなしだもんでまえでにとんでくる

2013-08-13 04:58:43 | 文学
わたくしは長野県の木曽出身なわけだが、この地方は非常に名称が変わってきたところで、確か鎌倉時代までは美濃国に属し、そのあと信濃国に、江戸期には尾張藩だったし、明治に入ってからは名古屋県、伊那県、筑摩県と変わったあげくに長野県に入って今に至った。しかし、はじめから木曽というわけではなく、明治以降もずっと西筑摩郡だったのが、昭和40年代にやっと木曽郡になったのであった。とはいえ、平成に入って楢川村が塩尻に入り、山口村が岐阜の中津川に入ったり(すなわち、島崎藤村とかいう御仁はいまや木曽人でも信州人でもない。もともとこの方は木曽で育ったわけでもないし、木曽で活躍したわけでもない。たとえば、「破戒」を書くときに、木曽を題材にするような勇気は彼にはなかった……)、残った内部でも町村合併が進んで開田とか三岳とか日義といった村がなくなったりしている。私が生まれ育った木曽福島町もいまやなく、木曽町になった。(ついでに私の母校の木曽高等学校もなくなりました。木曽青峰高等学校とかいうのになった。アーメン)とはいえ、木曽福島町ももともと福島村(岩郷と福島)と新開村(上田と黒川)があわさったものだった。私の遠い記憶だと、確かに、福島と上田と黒川は小学校も別だったからかもしれんが、全くの別の世界で、言葉も顔つきも違っていた気がする(ほんとかいな……)まあ、共同体と文化と政治は複雑だなあ……というか、弱い共同体は常に翻弄されるというこっちゃ……

言葉と言えば、ずら弁なところは静岡とか山梨と似ているし、疑問型に「かや」を使ったりするのは松本に似て(うちの母が松本出身だからか?とするとうちだけだったか……)、「ずく(が)なし」とか言うところは広く長野県の傾向に属している。尾張だったこともあって、名古屋の方の言葉もずいぶん入り込んでいるようでもある。とはいえ、かく言うわたくしは、山梨弁も名古屋弁も茨城弁もある程度はしゃべることができるし、数年前香川県にやってきたというので、待ってましたとばかり「なんでやねん」と会話に入り込んで顰蹙を買ったことも今は昔、ある程度讃岐弁も解し、関西弁のイントネーションも身につけつつあるが、帰省すると木曽弁風になる。だいたい「ずくなし」だって、古文に確か例があるから、昔は全国区の言葉だったのかもしれず、「ずら」や「かや」は言うまでもなし。んだもんで、私が井上ひさしの『吉里吉里人』を読んだときにやや疑問だったのは、吉里吉里語というのは、独立国の言葉になるほど本当に独立しているのかということであった。

というわけで、下の写真はイタリア