

国会が解散するときに、陛下の御名御璽の前にばんざいをした不逞の輩がいたらしいのである。だいたい最近の文学作品をみると、昔、堀口大学なんかが「象徴なんてはやくすてちまえ」と叱咤した効果がようやくあがってきたせいか、象徴すらうまく使いこなせない感じになってきており、学生の読解能力においてもそういう傾向にあるような気がする。というわけで、日本国の象徴の方も、ついに軽んじられるようになったかという感じであるが……。三島由紀夫の心配は文学に対しても天皇に対しても的中したのかもしれない。
天皇は、マルクス主義者の口まねをするわけじゃないが、やっぱりブルジョア的なものと封建的なもののバランスをとる機能的なものだと思う。だから、坂口安吾のいう天皇の利用というものもあり得るわけであるが、資本の人たちにとっては、もともと天皇なんかはどうでもよろしいのであって、ほっておけば制度の廃止を言い出しかねないのである。いまや、左翼の方が、天皇の政治利用に未練があるはずだ。天皇が実質「象徴」であることをやめ、というより、「象徴」の作用さえ心の中から追い出してしまいがちな、真に労働者化した国民の中では、天皇は案外、民主主義や良心といった超越的なものをいきなり送りつけてくる本当の「神」になる可能性があるのかもしれない。本当の天皇崇拝が問題になるのはおそらくこれからだ。