細君と夕食をとりながら、テレビを見ていた。
すると、村上龍の何とか宮殿という番組(録画)で、USJのお偉方(同い年)がでてきて、入場者数を天気で当てるとか、「進撃の巨人」の武器のおもちゃを売るとか、いろいろとスーパー商売人ぶりを語っていた。同じことをやってちゃだめとか、ある種の商売人にとって(多分)当たり前の哲学を自慢げに語っていたので、ついむかっ腹が立ち、「こういうのを国とか大学でまねする馬鹿が気持ち悪く沸いている」、「役人や学者如きが商売人のまねするんなんて商売人に失礼極まりない」、「素人が勝手に集客してつぶれろ」とか悪態をついたあげく、商売敵のデズニーランドについては「あのアメリカ臭が堪えられない」「あの鼠の眼つきは絶対病んでる」とか言っていたのである。「845かがわ」では、通信相会合の様子がやっていて、栗林公園をつまんなそうに歩く外国の大臣が映っていたので笑っていると、ボートこいで一生懸命テロ対策している宮仕えの人が写されたので「××××××××××××」と不謹慎に盛り上がった。だいたいある種の人というのは、大臣に面を憶えてもらうことに激烈な快感を覚えるらしいのである。テロ対策は、テロリストが攻めてくることを期待しているところがある。役人根性の費用対効果というものはそういうものである。そうすりゃ頑張って闘って上司に褒められる――と、空想しているかも知れないが、テロリストをあまり舐めないほうがよいのではないか?
というわけで、わたくしも自分の戦闘意欲と褒められ願望を遊園地に行って晴らしてみるのもいいかもしれないと思った。USJにもデズニーも行ったことがないので……。
無論、商人も役人も学者も根本的に遊園地で遊んでいるようなものである。その非現実性を嗤うことはいつも容易だが、それを成りたたせている物語を否認することは難しい。人文学はそこだけを問題にする。