仕事を終えて新宿のでかい映画館に行ってみたのであるが、吹けば飛ぶような映画しかやっていなかったので絶望して世界の良心・神保町に行く。
日本人の良心・岩波ホール。さすがエルマンノ・オルミ監督のやつを上映していた。戦争はオバマが言ったような「死が降りてきて」云々ではない、権力の処世による殺人である。私はこの映画にはちょっと音楽は余分に思えた。極めて抑制された使い方をしてあったけど……。イタリア人にとっては、そうではないのかもしれない。
そういえば、林光の「原爆小景」は、ながらく「夜」で終わっていたのだが、2001年になって「永遠のみどり」が作曲されている。私は、これを聴いた時に余分だと思った。原民喜の詩どおりなのだからそれでよいかもしれないのだが、緑は戦争があろうとなかろうと関係なく自然と生えてくるのだから……。放射能汚染などものともせず、それを内部に呑み込みつつ植物は生えてくるのである。アメリカ大統領が広島に来て演説をすることは、緑とおんなじでいずれは実現するものであって、今回それが実現したに過ぎない。非道いことだと知っていてもアメリカ大統領はいつも核のスイッチを持ち歩いている。平和のために彼はボタンを押すであろう。
イタリアではどのような反省が行われているであろうか?この前からレスピーギをよく聴いていて、イタリアのファシズムについて勉強しようという気にもなってきた。