★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「群竜伝」の連合体

2016-05-22 23:27:18 | 漫画など


本宮ひろ志のマンガを読んだことがなかったので、読んでみたんだが、今のところ登場人物たち全員が鼠なみの脳みそらしいので好感が持てる。普段練習もせず賭け事と喧嘩しかしてないようなクズ野球部のなかの親分格が、129頁でとつぜん、その哲学を披露し始めたので面白かった。

「おのれの世界をだれにもじゃまさせぬ そのためのむすびつき……そのための連合体だ」

で、その野球部を甲子園に連れて行こうとしている主人公?が、だからこそいいのだと言い、「ひとりひとりの個性を思うぞんぶん見せつけるんだ!」と叫ぶ。

思うに、ひとりひとりが違ってみんないい、みたいな哲学は、平和なユートピアをもたらすどころか、喧嘩しか頭にない荒くれどもの世界を現出させるのであった。今もそうなっている。たぶん本宮ひろ志の描くような世界は七〇年代ではなく、今にこそ当てはまる。

テロル・車・慕情

2016-05-22 02:01:27 | 漫画など


系譜になってないだろ、という批判に答えるためには、読者の私もこれまた一生勉強しなければ……

「ワイルドスピード メガマックス」という映画をこの前観たのだが、どうもわたくしはマッチョな男どもが犬死にしかかる映画が大好きだ。というより、マッチョな男は優しいはずという、幻想があるのである。

ところで、突然、映画「慕情」を思い出したんだが、訳知りふうで説明が多い映画が多いけれども、「好きだわ」「悲しいわ」という表現だけでいろいろ言ってしまうことは大事だと思う。説明はある程度差別的になるのである。それがいかに批評的であったとしても……。この問題は、上の二つの話題ともいずれつながる。