竹中労と平岡正明が、太田竜と仲違いした頃に『『水滸伝』――窮民革命のための序説』という本を書いている。太田竜については、『UFO原理と宇宙文明』という本しか読んでない。いろいろな意味で、あちら側に吹っ飛んでいってしまっている人としか思えなかったが、竹中や平岡のこの本も、――まあ暇があったら再読してみようと思っているが、とにかくわたくしは、浪人的なものに興味があるのである。
かつて、歴史学者として
所謂グローバル人材的なものである。彼らをみていると、ブルジョアジーの文化というものの栄光と愚劣さを見る気がする。彼らは『百科事典』的な知性を持つことが多いが、空間的な広さに惹かれているのである。あたかも、もう一度、近代の始まりの時代をみているようである。しかしそれが真の視野の広さとは無関係であり、作品を作り出すものでもなかったというのが、歴史の示すところではないだろうか。