★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

お猿の戦だえいさっさ

2018-03-01 16:34:00 | 映画


わたくしは「猿の惑星」というのが好きで、日本のあれなテレビシリーズ以外は観ている。アメリカではテレビシリーズはあったのであろうか。つい新三部作の最終作を見に行けてなかったので、DVDで観てみた。

簡単にいえば、妻と息子を殺されて暗黒面に落ちたシーザー(お猿)が、お猿ウイルスにかかって失語症になってしまった息子を殺してしまってこれまた暗黒面に落ちたおじさんに、仁義なき戦いを挑むが、一族郎党ともども捕囚の身に。しかし、歴史の必然として捕囚は脱走、海よ割れよ、―のかわりに雪崩が人間どもの軍隊を滅ぼし、木の上に逃げたお猿さまたちが生き残る。出アメリカしたお猿たちは、旧約聖書的な必然として約束の地にいたる。しかし深手を負っていたシーザーは死ぬのであった……

旧シリーズは、核兵器の物神化と民主主義がテーマだったが、今度のシリーズは、人種差別とか国境線とかの「区別」による境界の発生とその道徳的処理がテーマであって全然違う。

はたして、どちらがお猿人間の精神のありようとして強靱なものといえるであろうか。

しかし、わたくしをして言わしむれば、どちらも人間が滅びるまでがはやすぎる。世界にはほかにも人間や猿がいっぱいいて、いろいろな知恵を絞っているのである。勝手に約束の地だとかいって人の土地に踏み込むんじゃないっ