★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

不動堂明王院を訪ねる(京都の寺社3)

2018-03-12 18:31:19 | 神社仏閣
 

案内板によると……。

「弘仁十四年(823)、弘法大師空海が……」


お大師さん、またあんたかよ……。

お大師さんは東寺の鬼門の位置に当たるここに不動明王を祀ったのである。ここらに転がっていた石を使って彫ったのであるが、ここからお大師さんのエリート魂が大爆発。

「霊石不動が、穢れた凡夫の目に触れるのを憚って、石棺に納め、更にこれを地中の井戸ふかくに安置したのです」


穢れた凡夫の目に触れるのを憚って

石棺にいれて井戸に沈めたんじゃ、「穢れた凡夫」以外にも見えないじゃないかっ。そもそも、あってもなくても同じじゃないかっ。


というわけで、みんなその不動何とかのことは忘れてしまった70年後、宇多法皇がここに離宮(亭子院)をつくろうとして、この井戸の不動何とかのことを聴き(誰から聞いたんだろうか、またお大師さんが夢にでも出たか)、井戸から取り出そうとしたのである。しかし、

石を見るもの悉く眼を病み恐れをなして終に果たせなかったといいます。


こわっ。この石、実は想定外の物質でも出てたんじゃないか。温泉や池をじゃんじゃんつくってしまうお大師さんのことです。そういう危険なエネルギーなど朝飯前に生成してしまうのでしょう。それにしても迂闊(馬鹿)です。つくってから処理を考えるとか、お大師さんも「科学の進歩は止められない派」だったのでしょうか。

応仁の乱で、お堂は何回か火事になったらしいのですが、危ないですね。井戸まで延焼してたら……。「高野山波切不動尊」「成田不動尊」と併せて空海作の三体不動尊というらしいですが、どうでもいい。ちなみに、ここは、新撰組が西本願寺から移ってきた屯所とも言われているのだそうです、で、「まぼろしの屯所」とかいう提灯が釣り下がってました。

不動尊は見えず、屯所は幻かも……。結局、ホントは何もないのではなかろうかっ

道祖神社を訪ねる(京都の神社1)

2018-03-12 17:41:57 | 神社仏閣


えんむすび(ひらがな)道祖神社は、下京区南不動堂町。



となりに、不動堂明王院。果たして神社と別のものであったかあやしいが……。鳥居は、明治三十六年八月。



 

狛犬さん。





拝殿。

この神社は899年創建。このあたりにあった宇多法皇の亭子院の守護社だったらしい。その後、何回か焼けた。豊臣や徳川の時もいろんな都合で移動したが、近代になって、神社の大敵・鉄道敷設によって今の位置に落ち着いたらしい。道を司る神様なのに、道路や鉄道の都合で住処を移動。

 

末社のみなさん。幸神社、稲荷神社、書聖天満宮

 

文系万歳

筆は正しく使いましょう。文書偽造に使っちゃだめだよっ