案内板によると……。
「弘仁十四年(823)、弘法大師空海が……」
お大師さん、またあんたかよ……。
お大師さんは東寺の鬼門の位置に当たるここに不動明王を祀ったのである。ここらに転がっていた石を使って彫ったのであるが、ここからお大師さんのエリート魂が大爆発。
「霊石不動が、穢れた凡夫の目に触れるのを憚って、石棺に納め、更にこれを地中の井戸ふかくに安置したのです」
穢れた凡夫の目に触れるのを憚って
というわけで、みんなその不動何とかのことは忘れてしまった70年後、宇多法皇がここに離宮(亭子院)をつくろうとして、この井戸の不動何とかのことを聴き(誰から聞いたんだろうか、またお大師さんが夢にでも出たか)、井戸から取り出そうとしたのである。しかし、
石を見るもの悉く眼を病み恐れをなして終に果たせなかったといいます。
こわっ。この石、実は想定外の物質でも出てたんじゃないか。温泉や池をじゃんじゃんつくってしまうお大師さんのことです。そういう危険なエネルギーなど朝飯前に生成してしまうのでしょう。それにしても迂闊(
応仁の乱で、お堂は何回か火事になったらしいのですが、危ないですね。井戸まで延焼してたら……。「高野山波切不動尊」「成田不動尊」と併せて空海作の三体不動尊というらしいですが、どうでもいい。ちなみに、ここは、新撰組が西本願寺から移ってきた屯所とも言われているのだそうです、で、「まぼろしの屯所」とかいう提灯が釣り下がってました。
不動尊は見えず、屯所は幻かも……。結局、ホントは何もないのではなかろうかっ