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伊勢物語でとても有名な東下りの段を再読してみた。この箇所は、予備校や塾、高等学校で何回も黒板を背にして偉そうに語ったことがある……。だから確かによく覚えていたが、――職業上しょうがないとはいえ、例の「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」の〈かきつばた〉の箇所ばっかり語っていて、あとは、飯が涙で「ほとびにけり」のとこを強調したりして、全くもって平凡なことであった。
読み直して思ったのが、最初の
その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとてゆきけり
の前半がいいということに気がついた。「昔、男ありけり」に続いて「その男、身を要なきもの」と言っているわけでこりゃ重大である。単に京に身の置き場がないのではなく、端的に「身を要なきもの」とみたわけである。だいたい、現代では、旅に出るときには、なにかアイデンティティみたいなものを探しに行くというあれが流行っているのかもしれないが、身を要なきものと見た男にうつる風景はどんなであったろう。
時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらむ
その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
なにを訳わかんないこと言ってるんだと東の国の出身であるわたくしは思うが、考えてみると、彼にはもう風景などどうでもよかったに違いない。そういえば、五木寛之の『内灘夫人』の最後に、「できるだけ遠くに行ってみよう」とか書いてあったのを、勝手にがんばってくれ、とかからかっていた十代のわたくしであったが、少し考え直してみようと思った。