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みよし野の たのむの雁も ひたぶるに 君がかたにぞ よると鳴くなる
わが方に よると鳴くなる みよし野の たのむの雁を いつか忘れむ
伊勢物語の第十段では、昔男が武蔵野でも女の子を追いかけていた事態が描かれている。とはいっても、女の子本人はこの際どうでもよく、藤原氏の母が娘こそは思って貴人(昔男)に歌を送ったら、昔男は昔取った杵柄で歌を返したのであった。上のやりとりがそれであるが、まったくコミュニケーション能力(笑)みたいな歌で、――いっそあんた達が結婚すれば良いのにというかんじである。歌の世界はよくわからんが、上のやりとりは果たしてそんなたいしたものであろうか。どうもそんな感じはしないので、
人の国にても、なほかかることなむやまざりける。
という話者の語りは、相変わらずですなあ、という棒読みコメントとしてわたくしは断固解釈するぞ。
早い話が、この時もしおれが居なければ、あの新聞は四号で潰れていたところだ。当時お前も、
「――古座谷さん、この恩は一生忘れませんぞ」
と、呶鳴るように言っていたくらい、随分尽してやったものだ。印刷は無論ただ同然で引き受けてやったし、記事もおれが昔取った杵柄で書いてやった。なお「蘆のめばえ咲分娘」と題して、船場娘の美人投票を募集するなど、変なことを考えついたのも、おれだった。これは随分当って、新聞は飛ぶように売れ、有料広告主もだんだん増えた。
もっとも、こう言ったからとて、べつだん恩に着せようというのではない。それに、もともとこの船場新聞ではお前もたいして得るところはなかった。それのみか、某事件の摘発、攻撃の筆がたたって、新聞条令違反となり、発売禁止はもとより、百円の罰金をくらった。続いて、某銀行内部の中傷記事が原因して罰金三十円、この後もそんなことが屡々あって、結局お前は元も子もなくしてしまい無論廃刊した。
お前は随分苦り切って、そんな羽目になった原因のおれの記事をぶつぶつ恨みおかしいくらいだったから、思わずにやにやしていると、お前は、
「あんたという人は、えげつない人ですなあ」
と、呆れていた。
「――まあ、そう言うな。潰してしまっても、もともとたいした新聞じゃなかったんだから……」
と、笑っていると、お前は暫らくおれの顔を見つめていたが、何思ったか、いきなり、
「――冗談言うと、撲りますぞ」
と、言って出て行き、それきりおれのところへ顔出しもしなかったが、それから大分経って、損害賠償だといって、五十円請求して来た。
――織田作之助「勧善懲悪」
上の織田の作品はどういう筋だか忘れた。――思うに、昔男は風流な男として名を残しているわけであるが、「昔取った杵柄」みたいな男は、だいたい上のような男の場合が多いと思うのだ。こういう感じをあばいただけでも近代文学には意味があったと言わざるを得ない。