いつしか、梅咲かなむ。来むとありしを、さやあると、目をかけて待ちわたるに、花もみな咲きぬれど、音もせず。思ひわびて花を折りてやる。
頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春はわすれざりけり
といひやりたれば、あはれなることども書きて、
なほ頼め梅のたち枝は契りおかぬ思ひのほかの人も訪ふなり
孝標の娘に物語を教えてくれたのは継母で、宮仕えしていた人であった。孝標の娘の父とともに上総に下ったが、うまくいかなくなってよそに行くことになってしまったのである。そんな継母が帰ってこられるはずはなく、「思ひのほかの人も訪ふなり」とか返している。もとの歌「我が宿の立ち枝や見えつらん思ひの外に君が来ませる」――は、思いがけなくあなたが来てくれたわ、ということなので、来なけりゃならんと思いきや、約束していない人が思いがけず来るかもよ、と言われてもこまるのだ。悲しい。
萬葉のうちにある梅の歌では、私は、坂上女郎の、
さかづきに梅の花うけて思ふどち
飲みてののちは散らむともよし
が何か心象に沁みてくるような香があってわすれられない。王朝自由主義の中の明るい女性たちが、男どちと打ち交じって、杯を唇にあてている姿が目に見えるようだ。かの女たちの恋愛観もまたこのうちに酌みとれる。
蓮月尼の――鶯は都にいでて留守のまを梅ひとりこそ咲き匂ひけれ――も春昼の寂光をあざらかによくも詠んだものである。が、王朝の女性とくらべて大きな年代のへだたりが明らかに感じられる。何といっても、日本の女の、清々と、自由に、しかも時代の文化をよく身につけて、女性が女性の天真らんまんに生きた時代は、飛鳥、奈良、平安朝までの間であった。
――吉川英治「梅ちらほら」
まったく、宮本武蔵の気持ちは勝手に推測出来るくせに、王朝の女たちは天真爛漫に見えてしまうこのお方は信用出来ない。文学は、ふつうに人間は人間であったことを思い出させるのだが、――時代とか、科学とか、文化などという言葉を勝手に軸にして号令したいやつが多い昨今、一番生存が難しいものになってしまった。