★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

森として悲しむ

2020-07-22 23:17:12 | 文学


あづまより人来たり。「神拝といふわざして国のうちありきしに、水をかしく流れたる野の、はるばるとあるに、木むらのある、をかしき所かな、見せでとまづ思ひ出でて、『ここはいづことかいふ』と問へば、『子しのびの森となむ申す』と答へたりしが、身によそへられていみじく悲しかなりしかば、馬よりおりて、そこに二時なむながめられし、
  とどめおきて わがごとものや 思ひけむ 見るにかなしき 子しのびの森
となむおぼえられし」とあるを見る心地、いへばさらなり。返事に、
  子しのびを 聞くにつけても とどめ置きし ちちぶの山の つらきあづま路


お父さんから手紙が来た。神社詣でしながら常陸国をまわっていたら「水をかしく流れたる野の、はるばるとあるに、木むらのある、をかしき所」があった。確かに茨城県にはそういうところがいまでもたくさんある。茨城の野の広がりようは独特なものがあって、わたくしもいろいろと院生時代は歩き回った。――なんというところかと聞くと、「子忍びの森」というのであった、身につまされて悲しくなり長い間その風景を眺めていた。歌は、子忍びの森を擬人化していてなんかちょっと無理がある気がするのだが、――この父親はもはや人間として悲しんでいるのではないのである。森として悲しんでいるといってよいであろう。これにくらべて、娘の歌は、「つらい」と自分の感情だけが問題であるようにみえる。

平安朝の頃からは佛教の方で神社を占領するやうになりましたが、それから後鎌倉頃になりますと、武家が寺、神社の領地を占領するやうになりました。武家といふものはいたつて信仰の範圍の狹いもので、自分の尊崇して居る神樣を持つて歩きました。平家は嚴島の辨財天を其處らぢう持つて歩く、源氏は八幡樣を擔ぎ廻る。或は在來の神社を八幡樣に變へた。平家は時代は大して長くありませぬから辨財天に化する事は餘り致しませぬけれども、源氏は其處らぢうに蔓りましたから皆他の神社を八幡樣に化して了つた。

――内藤湖南「近畿地方に於ける神社」


父親は常陸国の神社を見て回っていた。律儀だったのである。内藤湖南がいう武家のように、自分の神様を持って歩くなんてことをすればもう少し茫洋とした気分はおさまったのかも知れないが、森として悲しむなんてこともなくなっていたかも知れない。