★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

神話二種

2020-07-28 22:38:45 | 文学


寔に知る、鏡を懸け珠を吐きたまひて、百の王相續き、劒を喫み蛇を切りたまひて、萬の神蕃息せしことを。安の河に議りて天の下を平け、小濱に論ひて國土を清めたまひき。ここを以ちて番の仁岐の命、初めて高千の巓に降り、神倭の天皇、秋津島に經歴したまひき。化熊川より出でて、天の劒を高倉に獲、生尾徑を遮きりて、大き烏吉野に導きき。儛を列ねて賊を攘ひ、歌を聞きて仇を伏しき。

思うに、『古事記』序文を読むと、なんだか日本列島ができて多様な小神々が大きな神から噴射された霧の如く広がっていったら、いつのまにか尾の生えた怪人とか三本足の怪鳥とかもどこから沸いたのか存在していて、最後は賊までいるのだ。いつのまにか妙な存在まででてきたな、という感じである。

朝顔の種をプランターに蒔いたら、芽がでて葉が広がっていくと、いつの間にか雑草や虫が目につき始める。どうも、そんな感じと似ている気がする。やはり我々の祖先は何かを育てていたようである。

「儛を列ねて賊を攘ひ、歌を聞きて仇を伏しき」というのが、なかなかミュージカルの群舞みたいである。舞台の上部奥から合唱が降りてくる。歌い手たちも両袖からでてきて……。みたいな感じで、賊を討つのである。その賊は舞台にいない。勝利の歌だけが流れている。

……高天原の国を逐はれた素戔嗚は、爪を剥がれた足に岩を踏んで、嶮しい山路を登つてゐた。岩むらの羊歯、鴉の声、それから冷たい鋼色の空、――彼の眼に入る限りの風物は、悉く荒涼それ自身であつた。
「おれに何の罪があるか? おれは彼等よりも強かつた。が、強かつた事は罪ではない。罪は寧ろ彼等にある。嫉妬心の深い、陰険な、男らしくもない彼等にある。」
 彼はかう憤りながら、暫く苦しい歩みを続けて行つた。と、路を遮つた、亀の背のやうな大岩の上に、六つの鈴のついてゐる、白銅鏡が一面のせてあつた。彼はその岩の前に足をとめると、何気なく鏡へ眼を落した。鏡は冴え渡つた面の上に、ありありと年若な顔を映した。が、それは彼の顔ではなく、彼が何度も殺さうとした、葦原醜男の顔であつた。……さう思ふと、急に夢がさめた。


――芥川龍之介「老いたる素戔嗚尊」


わたくしはまだ芥川龍之介のえがくような神話世界がすきである。置いたスサノオは、葦原醜男と逃げて行く娘に弓を構えながら結局放てない。理由は無いに等しいのであるが、それが老いというものである。スサノオは、新しい神話を造ることを許していたのである。我々の世界はどうかというと、そういう気もなければ、過去へのまなざしもない。何のために生きているのかわからない奴がおおい。