濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云、記の八に云く「文に三初に一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖増上慢の者を明す、此の三の中に初は忍ぶ可し次の者は前に過ぎたり第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以ての故に」等云云
いわゆる「三類の強敵」である。第一のものたちは、仏法に無智な者達で悪口が得意、いざとなったら何か武器を持ちだしてくる。第二は道門増上慢で、心がねじ曲がった自らに真実アリと思っている者達。第三は僭聖増上慢で、聖者のような扱われ方をされているがこいつらが一番の元凶であるところの高僧である。人里離れたところで悟りきり、権力に告げ口をする連中である。
いまでいえば、第一は世論で、第二はネット民、第三は一部の学者といったところか。こういうのは、世の中の構造の現れなので、日蓮の時代も我々の時代も変わらなく存在するのであった。もっとも認識しにくいので厄介なのは第三の輩だというのだが、最近はもしかしたら一番やっかいなのは第一の集団であるきがする。しかも、第一の集団に第二、第三が含まれている。
アニメーション「エヴァンゲリオン」に関しては、テレビ放映当初、同時期のオウム事件との類似性みたいな議論が多くあったと思う。エヴァンゲリオンを動かすネルフという組織はけっこうな大集団だが孤立したカルトだと。しかし、最後の劇場版だと、ネルフはなんか主人公と親父と指導教官の二人ぐらいになってて、それでも壮大なテロをやらかそうとする本当に孤立したテロリストに過ぎず、対して、そのカルトから抜けた元ネルフの若手(ヴィレ)はもう世間から孤立しておらず、田植えとかその支援とかでSDGsみたいな活動をやってる。ここにはある種の宗教2世にたいする楽観があるようだ。つまり、大衆化したカルトの問題を甘く見ていると思うのだ。物語は現実の書きかえに成功したようであるが、そう簡単ではないからいろいろなことが起こる。物事の影響は津波のようではなく、植物の根のように進んでゆくものだ。現在は、世間の方が多数化したオウムとなっている可能性すら考えとくことが必要である。