★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

旭大明神を訪ねる(香川の神社224)

2023-06-03 19:31:16 | 神社仏閣




旭大明神は紙町。アパートと住宅に埋もれるようにひっそりと。

由縁の碑によると、この地に高松市で教師をしていた藤田さんというひとが退職して移ってきていたのだが、昭和三年、これより少し北に走る琴平街道の工事の時に、川原から石棺が見出され、そこから白い蛇が出てきたので、霊験あらたかということになり、藤田さんちの鎮守として祀ったということである。金比羅信仰はインドの水の神クンピーラからきているというが、蛇なのである。このことと関係あるかわからないが、近くの御坊川も琴平街道も、出てきた蛇も総じて水の流れのような何かで、香川にとってはまさに命そのものである。石棺からでてきた蛇というのもいい。死からの復活を示しているようである。金比羅(琴平)街道を通る人たちはみずからが水となり、生となって歩んだにちがいない。いや、そうばかりとはいえないのだ。

数年前、弟が出征したとき、母は、武運長久の願をかけに、山口からわざわざ琴平詣りをした。五月雨のころであった。父にあたる人は七年来の中風で衰弱が目立っていたから、母の琴平詣りも、ほんとうの願がけ一心で、住んでいる町の駅を出たのは夜中のことであった。私がお伴をして、尾の道で汽船にのった。尾の道と云えば「暗夜行路」できき知った町の名である。町を見る間もなく船にのりこみ、多度津につくやいなやバスにつみこまれ、琴平の大鳥居の下へついたときには、かなりの雨になった。
 番傘を、下から煽る風にふき上げられまいと母の上にかざして何百段かの石段をのぼりつめたとき、更に高い本殿まで昇って椽側に腰をおろしたとき、私のこころは憤りでふるえるようであった。子を無事にかえしてほしいと思う母親、許婚の命があるようにと願う若い女。本殿のところに腰かけてみていれば、降りそぼつ雨にうたれて、お百度をふんでいる人さえある。せまい陰気な雨の境内は人ごみで雑踏し、賽銭をなげる音がし、祈祷の声がする。切ない心で諸国から集ったこれらの人々が、みんなあの幾百段をのぼって来ている。信仰の勿体なさを深くするため、印象づけるため、すべての流行する信仰建築は、きっとこういう途中の難関を計算に入れている。善光寺の山門までの長い単調な爪先のぼりの道中は何のためだろう。いじらしい人間の心を食い、無事息災をいのる心でたつきを立てるならば、せめて、年よりの足にたやすい方便を考えてもよいだろう。こういう願かけに、義弟の尊い生命の安危をたくしかねる私の心は、素朴な憤りにふるえた。こういうあわれな仕草で、自分の思いを表現するしかない人民の立場、しきたりが心に刻まれたのであった。
 そういう憤ろしい思いで雨の中をのぼり下った琴平の大鳥居の下に、こういう小道や公会堂があって、暗いやるせない信心とはまるでちがう新しい気運が、そこで開かれている会合で活溌に表現されている現在が愉快であった。こういう著るしい歴史の対照のもとで、琴平の町が私の生活に再び登場して来ようとは思いもかけなかった。そういう心もちは、琴平の裏町のこまやかな風景をすなおに私に感じさせるのであった。


――宮本百合子「琴平」