★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「右・左・真ん中」と「RRR」

2023-06-21 23:29:43 | 思想


孟子曰、楊子取爲我、拔一毛而利天下、不爲也、墨子兼愛、摩頂放踵、利天下爲之、子莫執中、執中爲近之、執中無權、猶執一也、所惡執一者、爲其賊道也、擧一而廢百也。

孟子は、リゴリズムを嫌っていたのかもしれない。もっとも、ほんとにリゴリスティックに生きている人なんかいないのだから、その言説の悪影響が問題だったのであろう。右・左・真ん中、すべて害を及ぼしかねない。大概、そこは別物で結びつけてはいけないものを結びつけることで快感をおぼえるタイプの知識人は、自分のミスをなんとか挽回するために生きていることすら忘れてしまった成功中毒者である。

本質的にこういうものを避けようとして、我々はもっと強力な力に頼ったりするのだが、考える余裕をもたない忙しさに賭ける手もある。この間、インド映画『RRR』をみたが、じつに痛快なインド独立運動ナショナリズムみたいな映画であって、――しかし、ものすごく主人公たちが忙しいのだ。革命はおそらく、忠臣蔵ではないが、余暇の過ごし方が難しいはずである。主人公たちは、傷の治る時間さえ与えられず、なおったことにして――というか、映画だからフシギにすぐなおる――つぎの戦いに挑む。「走れメロス」も忙しいが、これはまだセリヌンティウスがなんもしないし、すごく何もしない人たちが大量にいる「反革命」小説であるが、「RRR」は、セリヌンティウスがメロス並みに激怒する男であった場合、周りにも同調者がかなりいることになるのであった。

我が国では、もうそういう同調もおこらない。信用されない軽薄なかんじの正義の味方が、法律守れと主張する、こんな人々で溢れかえっており、大概説得を試みても難しい。ナショナリストはまだ説得される可能性があるが、正義の味方は説得されないのだ。この「法律」には結構いろんなものが入る。いや、むしろ好きなものが何でも入ると言ってよい。