★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

我々の弱さに生き延びる道を教えよ

2023-06-12 23:25:12 | 思想


五霸、桓公爲盛、葵丘之會、諸侯束、牲載書、而不歃血、初命曰、誅不孝、無易樹子、無以妾爲妻、再命曰、尊賢育才、以彰有德、三命曰、敬老慈幼、無忘賓旅、四命曰、士無世官、官事無攝、取士必得、無專殺大夫、五命曰、無曲防、無遏糴、無有封而不吿、曰、凡我同盟之人、既盟之後、言歸于好、今之諸侯、皆犯此五禁、故曰、今之諸侯、五霸之罪人也。

盟約というものを結ばねばならぬ状況になってはじめて我々は第一条・三条にあるような家庭内の倫理を問題にすることが出来るのだ。個人の倫理的動揺は抑制されなければならないからである。しかし、結局これは盟約が盟約に過ぎず、どこからほころびが出てくるかわからない弱さからもたらされる発想であるように思われる。

我々は、我々自身の弱さを感覚として感じることを避けたいのだ。だから物語や法律に頼りだす。AIで何か新しいものを作り出したいという欲望は基本的に弱さから来ている。――そんなことを考えていたら、手塚治虫の『ブラックジャック』の新作をAIで作ることに決めましたみたいなニュースが入った。手塚治虫もなめられたものだ。彼がディズニーその他の文化的流用を続けながら独創性を持っていたのは、彼の経験した怨念のような感覚の集合だったと思う。彼は三島由紀夫に近いのである。面白いのは、彼の息子がこのプロジェクトに担ぎ出され、父親はこういう試みこそやりたかった可能性があると言わされていた。確かに手塚の漫画は記号的だから、物語やアイディアが重要であったようにみえる。だから宮谷一彦や鳥山明以上に絵さえそこそこきちんと動けば、あとは手塚になるだろうということになるのかもしれない。

手塚治虫の「ブラックジャック」新作をAIにつくらせるとかで、それは新作とは言わねえよというのは置いといて、あれなんだろうな、ブラックジャックが執刀した体からブッダが生えたりアッチョンプリケの人の額から仏が出たり、ブラックジャックのお尻が兎のそれになったついでにアドルフに告げたり、といった、出来の悪い大学サークルのあれみたいになりそうだから、もういっそのこと、ベルセルクとかジョジョの奇妙な冒険をAI手塚に書かせるならば、ぜんぶ4頁ぐらいで終わるであろう。

こういう想像は我々の弱さのなせる技だ。しかし、優れた作者は、作品のなかに、まだ書いていないビジョンみたいなものも描いている。それは、のちの作者たちに遺伝するものであるが、それは後の作者たちが実現しないと何なのかは分からない。ましてAIのような人間の良心で縛り付けるロボットにはそれはなさそうである。さっさと手塚のクローンをつくったほうがよいのかもしれないが、それでも駄目なのである。

吉川英治の何がイヤて「春風駘蕩といったような大人風な好々爺」とか平気で書いちゃうところだな、なんか鍵盤をパーで叩いたような表現だよ。是に比べると太宰は「「あいあい、」と女房は春風駘蕩たる面持で」とか響きよし。この響きは、のちのライトノベルの作者たちによって実現した。感情はその表出主体に属している。罵倒が自らの正当性への確信に支えられているという説がよくあるが、そう言う人って怒ったことないのかな。正当性への確信は、その感情と衝突した者に表出されるものだ。

学生の頃、黒澤明の「まあだだよ」を観てなんかすごく嫌悪感があった。慕われる先生というのがあまり好きじゃなかったし内田百閒もあまり好きじゃなかった。いま観るとよいかもしれんが、――要するに、わたしは、内田百閒と弟子たちが案外コミュニケーション出来ていて、彼らが圓い意味の塊に見えたのである。それは一種のクローンたちの群れであり、AIが出鱈目なことを言い出したほうが面白いかも知れない。

そういえば、中国のAIが「あなたにとって(習近平国家主席の唱える)中国の夢は何か」と聞かれて「米国への移住」と答えた数年前の事件、――にたようなジョークが「スターリンジョーク」にあったから、案外AIとしては共産主義国家への愛情表現としてのジョークの模倣だったかもしれないのだ。もはや人間のほうがユーモアすら解せないのはありうる話だ。太宰治を読んでも、当時の臣民たちはAIよりもロボット的であったのである。