★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

有馬神社を訪ねていた(高知の神社1)

2025-01-07 23:32:25 | 神社仏閣


以前、高知市を訪ねたときに撮った写真の中にあった。はりまや橋の東にある土佐橋の南側にあるのがこの有馬神社である。

有馬神社の由緒としては、県神社台帳に依ると、御祭神は安徳天皇二位禅尼であり、昔より浦戸町土佐橋南詰に鎮座ましまし、付近の崇敬神として当町が片町なりし頃、北側堤の上に祭祀せられしも神殿を設けお祭したものであり、明治三年十月神社改正調書に、浦戸町有馬神社、但し旧名水天宮とあります。当宮は前々より水と火の守り神様として付近住民の信仰厚く、祭日は七月二十日にて、毎年縁日には境内に提灯を着け、お祭をし町内は賑わっておりましたが、大東亜戦争にて昭和二十年七月四日晩の空襲を受け、社殿は焼失しました。昭和五十七年有志相図り、地域並びに消防団の守り神様として復興した次第であります。(http://shizuka0329.blog98.fc2.com/blog-entry-2765.html を参照)


碑には確かにこういう文句が書いてあったと記憶する。この神社も空襲で焼けていたらしい。水天宮でもなんでも焼き尽くす近代文明めといきり立つ必要はない。そもむかし、長宗我部とやらは、四国のあちこちの神社を焼き払っている。神を殺すのはいつも人間である。しかもいつも人間によって復活する。

God を逆さにすれば Dog だ。(寺田寅彦「神」、『ホトトギス』明33・3)


寺田寅彦みたいな人は常に、もう一回ひっくり返ることを想定していない。