
されば、御乳母は、「かくて仰せられける物を、なにしにして参らせけむ」と、「例ならずあやしと思はざりけむ心のいたりのなさよ」と、泣きまどひけむこそ、いとことわりにあはれなれ。ことしもそれにさはらせ給はむやうに。かくと聞きつけ給ひては、やがて絶え入りて、なき人のやうにて御座しけるを、「かく聞かせ給はば、いとほしと思して、御心や乱れ給はむ」と、「今さらによしなし。これぞめでたきこと。仏にならせ給はば、我が御ためも、後の世のよく御座せむこそ、つひのこと」と、人々のいひければ、「われは仏にならせ給はむもうれしからず。わが身の後のたすけられ奉らむもおぼえず。ただいまのかなしさよりほかのことなし。殿の上も、御子どもあまた御座しませば、いとよし。ただわれ一人がことぞや」とぞ、伏しまろびまどひける。げにさることなりや。道心なからむ人は、後の世までも知るべきかはな。
道長の子である顕信が、衵の綿をほぐして一枚にまとめて欲しいと乳母に注文した。出家の準備だったが、乳母は気付かない。一人悲しみに暮れる。語り手は乳母に批判的で、仏心ないひとはだめですなあと言っている。乳母がまことにかわいそうである。
かわいそうといえば、中日ドラゴンズ(のファン)である。一生懸命応援しているのに、毎年
もうひとつ可愛そうと言えば、大学入試にかかわる人たちである。人間を大学別にランク付けしたい御仁のおかげで、共通試験が暴走列車のごとくだ。わたくしなんか、なにか悪い事をしたのであろうか、センター試験の会場にいなかった年数と、いた年数が接近してきていることをお知らせします。もう、試験監督のセンター試験平均点と会場の受験生の平均点で負けた人たちだけおいしいカレーをご馳走されるというイベントをだれかやってくれと言いたい。