★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

植物・競争

2024-01-11 23:32:31 | 思想


生成と運動の思想は夙にゲーテに含まれてゐた。「自然のうちにあるのは永久の生命、生成と運動である。自然は永久に転化し、そのうちには如何なる瞬間にも静止がない。」と既に二十二歳のゲーテは書いてゐる。この思想は『植物の変態』、その他の彼の晩年の自然研究において完成されるに至つた。然るにこのときその基礎には、つねに形態或はテュプス、或は原現象の観念が存してゐた。植物の場合ではそれはかの「原植物」である。発展の思想はこのやうに形態の思想またはテュポロギーと結び付くことによつて Morphologie の思想となる。モルフォロギーの思想とテュポロギーの思想とはもともと離るべからざるものである。原現象とは、それにおいて生成のイデーが純粋に眼前に横たはるところのものである、とシュペングラーは説明してゐる。現代の歴史家たちがゲーテから汲み取らうとするのは、特にこのモルフォロギー的思想である。

――三木清「ゲーテに於ける自然と歴史」


今日は、近畿の子どもというグループの人と、桃色白詰草Zの女性が年の差婚だみたいなニュースが飛び込んできた。しかし、まあ年の差婚だの、老教授と女学生とか、芸人のあれとか、どうでもいいが、ギョエテにそもそも負けている。70代で十代の女子に恋をして傑作を書く男がギョヘテである。ギョイテは、冬に首つって春に生き返れば良いのに、みたいなことを言ったと伝えられる。

ギョヘテがかようなことを言うのは、もはや彼が植物だったことを意味する。最後まで恋愛をがんばるところもほぼわしの庭の百日草の根性であるし、私に11月あたりに刈り取られる。春になると再び庭を占拠するであろう。

今日は、授業で藤田嗣治の「アッツ島玉砕」と小早川秋聲の「軍神」を面白そうに語ってしまったが、いわば冬の時代への防衛機制ということにしておいていただきたくお願い申し上げたい。しかし、多くの論者が指摘しているように、彼らの絵に興奮して死の欲動だかなんだか知らないが大和魂の塊と化した人びともいなくはないのである。そこには、死への競争みたいものも働いていたのではないだろうか。もう我々の先祖たちは戦争をやっていなかったのだ。

帰り道に星空がきれいでぐるりと回転した。

平和主義は、戦争ではなく競争を放置したところがあった。終戦後長い時間をかけて、受験戦争も終わった。それをなしたのは共通一次試験以来の共通テストである。ランク付けが関係がない妙な局地戦ではなく、競争になった。やる気も失せるわ、競争じゃ。精神的に死ぬしかない。

実は、競争というのは、競争そのものがコモンセンスなので、社会常識が必要ないのだ。戦中・戦後に社会常識が崩壊しているのはそのせいもあるのではなかろうか。ダウンタウンに限ったことではないだろうが、笑いは社会常識に依存しているので、それがネットでたしかな常識がどこにあるのかわからなくなると、どこを崩壊させたり過激に言い立てたりすればよいのか分からなくなる。ダウンタウンが体現していたような路上の不良の笑いが、実際どういうものなのかわからなくなっているというのはある。ダウンタウンに限らずこれはお笑いにとって痛い。爆笑問題もダウンタウンもどことなく政府に接近したりしたのは、社会常識を言った方が非常識だからみたいなネット社会の状態と関係がある。もちろん、彼ら自身は常にそこから遁れ出て非常識な言動に回帰せざるを得ない。そこまでの逸脱としての笑いを志向する後発世代の芸人達はそういうことを必要としないだけだ。


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