
昭和34年の教員養成大学音楽科用の教科書『大学音楽』をめくった。たぶん、両親のどちらかがつかった教科書と思われる。編者はイタリア音楽系教育者の城多又兵衛。巻末の年表に、皇紀2600年の曲書いたイタリアのイルデブランド・ピツェッティが、現役の音楽家として、ショスタコーヴィチとかストラビンスキーとともにかかれていた。一方、ブルックナーやマーラーの名はない。
巻末の年表は裏表あって、表は西洋音楽、裏は日本近代の音楽史である。そこでは、第二次世界大戦は大東亜戦争と書かれていた。ほとんどが戦前の音楽の歴史で、まだ、この頃は、戦前の方が歴史として大きかったのだ。そこでは西洋音楽クラシック音楽の基礎をどういう風に考えるかが、初頭音楽教育の基底にあった気がする。そこにはまだ、あちらがわの文化は他者である感覚が働いている。文学と同じく、気分や情景を表現するみたいな目標が掲げられていることも多いが、これだって、自明の理を確認するというより、そういうものらしいからそうあるべきという前提が漂っている。