
罌粟の花は毒薬の原料にされてから畑から追払はれてしまつた。あんな素晴らしい花や実を取られたのは子供達には何んといふ不幸なことなのだらう。毒薬なんかにはしないから畑へ返して貰ひたい。
柿は驚くべき誠実な彫刻家だ。自分を挙げて丹念に刻つた同じ花を惜げもなく地べたへ一面にばらまいてしまふ。こんな仇花にさへ一様に精魂を尽してゐる柿。
矢車草は子女の着物の柄に使はれて子供達をも美に染めた。着物は洗はれて柄は消えたが子供達の畑のこの花は今もなほ美事に咲いてゐる。
南瓜の花なんか誰も賞美しない。実だけに気を取られて、花には気がつかないらしいかもわからない。然し今ではなくなつた縮緬南瓜や瓢箪南瓜の委曲をつくした皺の美は、意識はしてゐなかつたが見逃がしてはゐなかつたに相違ない。夫れは、この頃の石の流行は、こんな南瓜の皺を知らずに食べてゐたわけであつたかもわからない。
――河井寛次郎「雑草雑語」