★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

注釈と弟子

2023-07-15 23:31:35 | 思想


所謂治国必先斎其家者、其家不可教、而能教人者無之。故君子不出家、而成教於国。孝者所以事君也。弟者所以事長也。慈者所以使衆也。

「君子不出家、而成教於国」とあり、君子が家の外に出ないで、教化を国全体へ成し遂げる、という教えがなんとなく最近の、富裕層のトリクルダウン理論をおもわせていやな気分である。このことに、昔の人々が気付いていないわけはない。どの時代でも、家族を整えることがすなわち国を整えることになるという考え方の不自然さに、皆が気付かないということはありえない。途中の作用が分からないからである。あるいは、作用が別の暴力を伴っていることを知っているからである。家族と国家の間は常に不安で埋められることになる。

こうなったときに、手っ取り早いのは、量としての証拠である。なぜかはわからないが、そうなってきた、あるいは、そういうこと言う人が多かったし、というやつである。注釈によってテクストを確かなものにしようとする欲望は、不安感からも導かれる。

上の部分のあとにも、尭舜の伝説からはじまって『詩経』の引用が三つ続く。

路は二人を相手に激しく斬り結ぶ。往年の勇者子路も、しかし、年には勝てぬ。次第に疲労が加わり、呼吸が乱れる。子路の旗色の悪いのを見た群集は、この時ようやく旗幟を明らかにした。罵声が子路に向って飛び、無数の石や棒が子路の身体に当った。敵の戟の尖端が頬を掠めた。纓(冠の紐)が断れて、冠が落ちかかる。左手でそれを支えようとした途端に、もう一人の敵の剣が肩先に喰い込む。血が迸り、子路は倒れ、冠が落ちる。倒れながら、子路は手を伸ばして冠を拾い、正しく頭に着けて素速く纓を結んだ。敵の刃の下で、真赤に血を浴びた子路が、最期の力を絞って絶叫する。
「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」

 全身膾のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。

 魯に在って遥かに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴(子羔)や、それ帰らん。由や死なん。」と言った。果してその言のごとくなったことを知った時、老聖人は佇立瞑目することしばし、やがて潸然として涙下った。子路の屍が醢にされたと聞くや、家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後、醢は一切食膳に上さなかったということである。


――中島敦「弟子」


中島敦が破壊しようとしたのは、なるほど儒教の持つシャンパンタワーの上からシャンパンを垂らすことじたいに酔うみたいな精神だと思われる。「山月記」においてだって、虎になることは「酔う」ことであった。子路の激情は孔子あってのものだ。しかし、子路は孔子の注釈をしたのではない。


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