★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

あまりに機械的な

2025-03-16 23:04:42 | 思想


クラウゼヴィッツにとって、政治的国家はすでに「徹底砲撃を防げる非伝導体性ミリュー」だった。こうした定式のうちには軍事階級の野心の性格が完璧なまでに現れており、核状況が投射されている……。 「ボナパルト(将軍/国家元首)とともに、戦争は一分も無駄にすることなく遂行され、 反撃は間断なく行われるようになっていた。こうした現象が、我々を、厳密な演繹による戦争の本源的概念に連れ戻すのは当然ではなかろうか」。力学的効率が国家機械の原理的性質であり、速度術的進歩の最終段階たる核国家は、戦略計算機によって概念の統一性を保証する。この究極の戦争機械と向かい合い、それに臨検を受けつつ、最後の軍事プロレタリアートが立っている。消滅した軍の最高指導者、共和国大統領の、意志なき身体が。 大統領の身体は二つの砲火の間の旧徴集兵たちの身体に似ている。彼の最後の動作は、今もって突撃なのだ。

――ポール・ヴィリリオ『速度と政治』(市田良彦訳)


トランプなんかはもはや上のような「意志なき身体」であり「軍事プロレタリアート」だと言ってよいかも知れない。我々は、かくも大統領が人間でなくなるとは思ってもいなかったような気がするが、気がするだけである。大リーグのチームと日本のプロたちの試合にも人間の闘いはない。もともと野球にはそういう「戦争機械」になりかねない予感をもたせるものがあった。あまりにもボールが――弾丸のように――速く飛びすぎるからだ。プロ野球が興業だから乱闘があったのではない。あれは、人間としての「最後のプロレタリアート」の「突撃」の姿だったのであろう。第一次星野ドラゴンズといまのドジャースやらせて、死球合戦、乱闘で、オキュペイドジャパンを上演すべし。しかし、もはや我々の世界は、そういう想像も不可能なほど、戦争機械の世界である。オキュペイドされる国もする国もない。それはすべて機械的プロセスである。トランプはそれをディールと言っているだけだろう。

落合博満氏のチャンネルで知ったのだが――、落合氏が使っていたバット=アオダモの木はいまはあまり使われなくなっていて、なぜかというと手に入らなくなっているからだという。しかし、理由は根本的な枯渇ではなくて、木自体はいまでも北海道には生えてるみたいなのだが、国有林化とか切り出してくる人たちの高齢化とかが関係しているらしい。で、アメリカの素材の木が多く使われるようになったと。そういう意味でも、日本のプロ野球も、人間の意図を越えた理由でもはや「日本産」ではなくなっているのであった。大谷を観ても思うのだが、バットが軽くなるとこんどはバッターの肉体のほうがより強力なマシンになる必要がでてくるのだと思う。AIでかんたんな情報の整理や図式化にたいする負担が軽くなると、われわれが益々高度な思考マシンにならなければならないのと事態は似ている。

三島由紀夫はたぶん、そんな事情をよく分かっていた。だから人間の意図として機械的肉体となり、機械としての集団(軍隊)を私設した。その意味では。のんさん主演の『私にふさわしいホテル』という映画が良かった。のんさん演じる若い小説家が大御所の小説家に三島由紀夫の檄文のいたずら電話をかけるところがすごい。そういえば、のん(能年玲奈)という俳優、デビュー当時からどこかしらロボットみたいなところがあり、それが逆に人間らしく見える。そして三島由紀夫の檄文もサイボーグが喋ってみるみたいだったが、そんな側面を美事に浮かび上がらせていた。

そういえば、以前、大学院生に、ドゥルーズとフーコーを引用せずにレポートを書きましょう、と指示したことがあるが、かなり効果的だった。それだけで論証が稠密になる。ただこれは、大学生の初期にやるべきことではない。――かくも我々の思考は機械的である。

「思考」に任せておくとこうなるわけである。もはや機械的に変化させてしまうべきなのは、言葉のほうである。例えば、確定申告って、ほんと響きがかたいので「ぴょこぴょこうさぎ」とか「こころのお餅」とか「いやんもうおかねとっちゃいやん」みたいな名称に変えたらいかがであろうか。変身文化を生み出した戦後は、そういう試みを行っていた。

もうみんな言っていることだろうと思うが、手塚治虫のマンガのスピードって、転向を許さないスピードという感じがする。戦争機械よりも速いヒューマニズムというか。。それも、人間が擬人化した動物になってから人間へ再復帰したキャラクターによって。それは、動物的にブラッシュアップした人間である。それは転向しない。転向とは、転向後のプロセスを含んだものであって、それによって変身を防いでいる。例えば、本当はワークとライフなんか分かれてもいないしだからバランスなんかとりようがないのだが、そこでワークを鎗ながら内面としてのライフで右往左往するのが転向である。世の中、ただライフを棄てよ機械になれと言っているだけなのだから、さっさと変身して対抗したほうがよい。これが夢物語であるだけに、戦後は夢のようなかんじであった。ほんとは、夢が覚めてからのことも考えておくべきだったと我に返ってみたら、すみやかに地獄に墜ちることだけの速さがはますますいきがよい。


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