歯舞諸島のユリ島付近でB29がソ連戦闘機に撃墜される事件が起きたのは十月七日のことだが、私が札幌について二日目の十七日には、歯舞諸島は日本領土であるという米国務省の対ソ抗議覚書が発表された。根室沖が「危険地帯」の発火点になるための外交辞令はととのった形である。二十日私は旭川にいた。その前の日だったろうか、米軍ジェット機が旭川付近のどこかしらで墜落して、それを捜索するための小型機が旧練兵場から一日中飛びまわっているのを私は見た。学芸大学の裏手のアイヌ部落のまんなかに立ってその飛行機を見ているときに、旭川には水野成夫氏の国策パルプの工場があるが、ストライキなどはけっしておこらないしくみになっているときいたとたんに私はおかしさがこみあげてきた。というのも国策パルプ、苫小牧製紙、東洋高圧、帝国製麻、日本製鋼、北海道電力といった優良株を、北海道に工場があるという理由で、絶対に買わない男がいるという話をとたんに思い浮べたからである。その男の名前もむろん私は聞いているのだが、旧財閥筋のさる大会社のれっきとした重役なのである。こんな重役が一人でも日本にいるかぎり水野氏はまだまだのしあがるだろう。ところでストライキは、そのとき全道、否全国にわたって炭労、電産二労組がゼネストに入っていたのである。炭労は十三、四日にわたる四十八時間ストについで、十七日から大手筋十六社二十四万人が一せいに無期限ストに突入した。
――服部之総「望郷」
水野成夫は、フジサンケイグループをつくった男として知られているが、そして、これも有名な話だが、れっきとしたフランス文学の実力ある飜訳者で元共産党員、赤旗初代編集長、で逮捕された後は獄中転向のありかたを方向付けた男、――というかんじで、弁証法というか塞翁が馬というか、裏切り者といおうか、ものすごい男であった。しかも、こういう男は案外一人ではない。けっこう戦後の復興期にはこのタイプのいろんな奴が活躍しているのであった。というか、戦後の人間たちは、戦前からの転向組という意味で、ほとんどが水野的である。あと、文藝春秋をつくった男・菊池寛も、言うまでもなく転向組と言ってよい。やつらがいなければ、アカハタもフジサンケイも文春もないわけで、結局諸悪の根源は文学なのではっ。そして、彼らとおおかたの日本人は似ている、ということは諸悪の根源は日本人なのではないだろうか(棒読み)
そういえば、昨日のニュースで、東京の普連土学園の校長先生がでていたが、これも由緒ある学校で、校歌は室生犀星の作である。犀星なんかは幼児的すぎて、裏切らない。
――昔書いたことなんだが、共産党の人たちに限らず、戦後の日本人が少々頑張り屋だったのは、転向者、戦前からの裏切り者だったからではなかろうか。裏切り者というのはまっすぐに頑張るのである。対して、転向や裏切りから出発しない人は、いずれ自分や周りから転向し裏切るまで堕落をやめない。そういえば、坂口安吾の堕落が何処に向かっているのか不明な「気合い」みたいにみえるのも、案外転向のモメントがないからではなかろうか。
わたくしも、音楽から転向して、音楽を裏切っている自覚のあるときだけ、活き活きしていた。転向後の道を自明としたときに堕落がはじまった。
今の日本も、過去の弁証法の煮崩れした瓦礫で出来ている。ベンヤミンならここから美的な星座でも思いつくであろうが、わたくしには少なくともまったく何も浮かんでこない。
星座でなく、造られているのは瓦礫に躓かないための教則本である。さんざ言われていることであるが、ミスをなくそうと思ってかように細かく指示を出すようなことを続けていると、常識で判断せえとかその場で何とかしろみたいなことが分からない、すべてを細かい指示で組織したがるおかしな人たちが台頭して威張るようになる。このことは職場の秩序を大いに乱す。これは、指示を文字通りに取ってしまう少数のひとの台頭と裏腹ではあるが、より厄介なことであって、――たいがいその細かさはその対象が非常に恣意的だからである。研究がよりシステマティックになってある問題の範疇のなかの差異化みたいになってゆくとそういう細かさだけがある研究者が台頭してゆくことになるのだが、――より大学の校務上の困難さが増している気がする。気恥ずかしいけど、問題が人間的でないことを批判する指導はこれから必要である。
あるひとは、繰り上がり当選みたいなことが続きゃそうなるよ、と言っていたが。。。