「先生、日本人に大和魂があれば支那人には支那魂があるでせう。日本に加藤清正や北条時宗がゐれば支那にだつて関羽や張飛がゐるぢやありませんか。それに先生はいつかも謙信が信玄に塩を贈つた話をして敵を憐むのが武士道だなんて教へておきながらなんだつてそんなに支那人の悪口ばかしいふんです」
そんなことをいつて平生のむしやくしやをひと思ひにぶちまけてやつたら先生はむづかしい顔をしてたがややあつて
「□□さんは大和魂がない」
といつた。私はこめかみにぴりぴりと癇癪筋のたつのをおぼえたがその大和魂をとりだしてみせることもできないのでそのまま顔を赤くして黙つてしまつた。
――中勘助「銀の匙」
朝の「吹奏楽の響き」で藤田玄播氏の特集があった。大学時代、氏の元で吹いたことがあるが、つねに響きがゆがまないようにするテンポ設定がちょっと独特なものがあった。氏は編曲家としてすごく有名だったわけだが、作曲家としてもどちらかというと本質的にはアレンジメントの人だったような気がする。民謡を大切につかっている行進曲だけではなく、「天使ミカエルの歎き」みたいな曲でも、マルティヌーの「ギルガメッシ」メロディがアレンジされて内面的な現代音楽に化けていた。そこには、たぶん、通俗的なものに素朴なもので抵抗しようという心意気があったと思われる。「吹奏楽のためのカンツォーネ」がよい曲だったが、同じような意味で「若人の心」も素朴な心の表現だったように思われた。吹奏楽の世界は、素朴なアマチュア音楽人のための世界で、だから氏のやり方が有効だったし意味があった。民謡などをバルトークよりも洗練させクラシック音楽にしてしまおうとするような動きも一方であったからである。
昭和も終わりにさしかかり、その素朴なものは、――かつての文明開化の時期のように、文化のランキングのなかに組み込まれていってしまった。勉強の世界も、単なる受験地獄が、大衆化した階層構造の地獄に変化していったような気がする。教師になると急に出来のよい/悪い、一生懸命やってる/やってない、みたいな基準で人間を判断するようになるが本来そういう輩は特殊で、広くそんな感じになってしまったのはこの頃からではなかったであろうか。経緯や原因はどうあれ、生徒や学生との関係は人間関係であるからして、どんな関係も好き嫌いみたいな関係になりがちである。そこでは、勉強の様々な側面に対する様々な反応と感情が、好き嫌いの感情に捨象されてしまうのである。その勘違いは、勉強を好きになれば出来るようになるという勘違いに直結する。これが、いまの主体的で深い学びなどという空言に嫌悪感を抱かない遠因となってるような気がする。そんな誤った雰囲気の中では、勉強する前に主体性を何とかしようともがくか、自分に自足するようになるわけである。我々は、単に実力が下がっているのに我々は間違いを認めようとしないほどには心を大事にして生きてゆくしかない。
アクティブなんちゃらでなければ授業に非ずみたいな強迫的なあれも、一部の教師に講義が出来るほどの実力が失われつつあったのを講義そのもの価値を下げることによって無視し、別の価値(アクティブなんちゃら)で仕切り直すことによってなんとかしようといういつものあれであった。そりゃ隠蔽が目的の一部だから強迫的にもなるわけである。
強迫的な働きは、それをし続けることで成り立つわけだが、しかし、し続けると疲れてくる。自分の実力を隠し続けているのだから疲れるわけである。学生の鬱やなにやらの原因にはいろんなものがあるが、とにかく何かを隠して乗りきろうという苦しさがしばしばあり、これは医学的な問題ではなく、どうみても人文的な問題のようなきがするのである。学生と話していると、屡々、その考え方こそがあなたを自分で追いつめるものでは、と思わせるものがあるのだが、それをつい「寄り添い」だか「共感的」なあれで「そうですね」とか言うてしまうと相手の首をまた絞めてる気がするのである。でも「違うよボケッ」と言ったらそれはそれで相手は「もうオレだめだ~」となるわけであるから難しい。カウンセリングマインドの心構えの説明は簡単だが、それによって何かが簡単になっているわけではない。
我々の気質は、長い時間のなかにも求められる。単に、素朴さが失われたと言っても始まらない。例えば、1970年前後の生まれの特徴として考えられるのは、一種の幼少期における転向で、その親たちが敗戦で経験したものの反復という面があるかもしれない。我々は「ウルトラセブン」的な暗い戦争の雰囲気と「うる星やつら」みたいな非日常的狂騒を発達段階的に自然と経験しなければならなかった。学生運動的な怨念と八十年代の馬鹿騒ぎについて、大人は、原因をふくめてその関係を考えることができたが、子どもはそれを自然の推移として経験させられたわけで、そこでの妙なかんじを強引に納得した感じを東浩紀氏なんかにも感じるし、私の中にも感じる。小学生の頃、タモリがお昼休みに進出してきたときにその雰囲気にものすごく嫌悪感があった。小学生のくせに、わたしの人生は、それより前とそれより後に分割され、八十年代以降がすべて「最近」である。わたしの世代の物書きのなかに、蔵原惟人もびっくりのスターリン主義者がいるのも原因はそこで、子ども時代のやり直し=暗い戦争続行みたいなところがあるかもしれない。しかしそれは学生運動の一部が太平洋戦争続行だと言ってたことに似て、それだけ言っててもしょうがないところはある。大人として子どもの時代を生き直せばいいんじゃないか、気分としてはそう思う。